いま我々は、当たり前のように「資本主義」の価値観のうえで生活しているので、「経済が成長する」という感覚が、どれほど特殊なものなのかわかっていない。
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』によると、「投資によって経済が成長していき、全体のパイが増える」という考えは、革命的な歴史上の変化だった。
この記事では、「現代では常識となっている資本主義的な考え方が、それ以前の基準ではどれほど突飛なものなのか」、そして「なぜそれほど突飛なものが現在の社会制度の根幹を担うようになったのか」を解説する。
なお、当記事を書くにあたっては、『サピエンス全史』第16章「拡大するパイという資本主義のマジック」を参考にしている。
「経済が成長する」という考えがそもそも存在しなかった
「資本主義」は、多方面に渡る様々な大変革を社会に与えた。だが、『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリは、経済の近代史を知るためには、「成長」というたった一語を理解すれば済むとさえ述べている。
「資本主義」前には、そもそも「経済成長」という考え方が存在しなかった。工業が興る前の農耕の時代、歴史の長い時間を通して、経済の規模はほとんど変化しなかった。人口が増えると食べていけなくなり、新たな土地の開拓を迫られるという形で、全体の生産量が増えることはあったものの、一人あたりの生産量はほとんど変わらなかった。
農耕の時代の人たちは、「経済」はゼロサムゲームのようなものだと捉えていた。誰かが大きく儲けることは、そのぶん誰かの儲けを減らすことだと考えられていたのだ。例えば、あるパン屋が、他よりもずっと繁盛するということは、そのぶんだけどこかのパン屋の儲けが減り、それが理由で生活が苦しくなる人が出てくる、というのが常識的な感覚だった。そのため、古今東西の文化において、大金を稼ぐことは罪悪と見なされてきた。
資本主義以前の常識的な感覚は、「全体のパイの大きさは一定」というもので、「経済が成長して全体のパイが大きくなる」という発想がそもそもない。そのため、努力によってより多くのパイを自分に切り分けられるようにすることは可能でも、それは利己的な行動だと見なされていた。
「未来の富に対する信用」によって、一気に経済が動き出した
「資本主義」は、再投資によって生産性を向上させることによって、「全体のパイが増えていく」という考え方をする。これに説得力を与えたのは「科学」だった。
科学の新しい発明が生産性の向上をもたらし、科学に投資が集まると、科学はそれに応える成果を出した。科学による生産性の飛躍的な向上によって、人々は「全体のパイが増えていく」という前提を信じられるようになった。
「貨幣」は、資本主義のずっと前から使われてきたものだが、近代以前の「貨幣」の能力は、ごく限られたものだった。なぜなら、「貨幣」と交換できるのは、「その時点で現に存在するもののみ」だったからだ。つまり、近代以前は、将来の期待に応じて貨幣の量を増やすという、今の銀行が行う「信用創造」の仕組みが存在しなかった。
農耕社会に「信用」という概念がなかったわけではない。むしろそれは非常に重要なものだった。だが、「未来は今よりも富が増えていく」という前提こそが、近代特有のものだった。それ以前には「未来への信用に基づく投資」がまったく行われなかったので、経済は停滞の袋小路のはまり続けている状態だった。「投資が行われないので経済が成長せず、経済が成長することが信じられないので投資が行われない」という袋小路だ。
「現在よりも将来のほうが、富が増えているだろう」という考え方を多くの人ができるようになったからこそ、未来の富への信用に基づいた投資が行われるようになった。すると、貨幣の量が増え、たちまち経済が加速していった。
「資本主義」は、「成長して全体のパイが増えていく」という思想的な転換によって一気に動き出した。その思想的転換をもたらしたのは、「科学」による生産性の向上だった。
アダム・スミス『国富論』の画期的な思想
1776年にアダム・スミス『国富論』が出版されたが、ハラリはこの書籍を、「おそらく歴史上最も重要な経済学の声明書と呼んでもいいだろう」と評価している。
第1編8章でスミスは次のような、当時としては斬新な議論を展開している。すなわち、地主にせよ、あるいは織工、靴職人にせよ、家族を養うために必要な分を超える利益を得た者は、そのお金を使って前より多くの下働きの使用人や職人を雇い、利益をさらに増やそうとする。利益が増えるほど、雇える人数も増える。したがって、個人起業家の利益が増すことが、全体の富の増加と繁栄の基本であるということになる。
これがあまり独創的な発想には思えないとしたら、それは私たちがみな、スミスの主張が当然のものと見なされる、資本主義の世界で生きているからだ。毎日のニュースの中で、私たちはこのテーマをさまざまな形で耳にしている。だが、自分の利益を増やしたいと願う人間の利己的な衝動が全体の豊かさの基本になるというスミスの主張は、じつは人類史上屈指の画期的な思想なのだ。
アダム・スミスの主張は、経済のみならず、道徳や政治なども含めて、従来の常識を根本的に覆すものだった。それ以前は、「強欲は悪」だったのが、「個人の利益追求が全体のパイを増やす」というスミスの理屈によれば、「強欲こそが利他的」なのだ。
誰かが得るはずだった富を奪い取ることではなく、全体のパイを増やすことによって、全員が豊かになることができる。このような画期的な思想のもとに資本主義が加速し、科学による新しい発見と、それがもたらす生産性の向上が、実際に全体のパイを増やすことに成功した。
そして、「利益はさらなる生産のために再投資しなければならない」という新しい規範が生まれることになり、資本主義のエリート層はこれを遵守した。金持ちは、桁外れの資産を持ちながらも、それを浪費に回すことなく、さらなる利益獲得のために投資するようになったのだ。
「信用」された国が繁栄する
「資本主義」は様々な面で国のあり方に大きな影響を与えたが、その中でも大きかったのが「信用が国力を左右する」という現象だ。
軍備拡張や征服のための資金調達において、むりやり民衆から税金を搾り取るよりも、利己的な投資家から支持される国のほうが、国力を増強しやすくなった。税金は誰もが払いたくないが、利己的な商人たちは、投資なら喜んで行う。
国王や将軍は、商業的な考え方を排除できなくなり、商人や銀行家の立場が強くなった。征服のための資金調達は、国家が強権によって徴収する税金よりも、期待される富への投資によって行われるようになっていった。
やがてオランダで、「株式会社」という、より多くの人が投資に参加しやすくなる資金調達の仕組みが発明される。金融制度は高度化していき、ヨーロッパの主要都市のほとんどに「証券取引所」が設置された。
「国の信用」が国力を左右するようになった顕著な例が、スペインとオランダの逆転だ。
十六世紀のはじめ、スペインはヨーロッパで最大の帝国だった。一方でオランダは、天然資源に恵まれない、ヨーロッパの片隅に位置する小さな国にすぎなかった。しかし、十六世紀の半ばから、たった80年ほどの間に、オランダはスペインからの独立を確保したばかりか、ヨーロッパで最も豊かな国になった。オランダがこれほどまでに成功した理由は「信用」だった。
オランダは
- 貸付に対して期限内の金額返済を厳守させる
- 司法制度を独立させ、個人の私有財産権を国から保護
などを遵守し、投資家からの信用を勝ち取った。
それまでは、個人の権利より国家の目的が優先されるのが当然のことだった。しかし、征服の資金調達のために投資を呼び込まなければならない以上、投資家からの「信用」を勝ち取ることが、結果として国力に繋がるようになった。
資本は、個人の財産や権利を守ろうとしない国から流出し、法の支配と私有財産保護がしっかりしている国に流れ込むようになる。投資家からの信用を勝ち取った国は、軍備拡張などの資金調達も容易になるので、国力を増強しやすい。
信用を蔑ろにしたスペインは国力を落とし、信用を勝ち取ったオランダは国力を伸ばした。
スペインはしばしば、自国の都合のために借金を帳消しにしたり、私有財産権を守らない決定を下したりした。一方、司法制度の独立性が高いオランダでは、国にとっては不利になっても、投資家に正当性があれば、それを認める判決が下された。そのため、多くの投資家がオランダで投資をしたほうがいいと考え、結局はオランダが、経済力でも戦力でも、優位に立つようになったのだ。
資本主義の暴走
国が信用を失えば、融資を取り付けるのが難しくなり、高い金利を払わなければならなくなる。信用のある国は、簡単に低金利でお金を借りることができるようになる。これは現在にも続いていて、国家の信用格付けは、その国が所有する天然資源よりも、国の財政の健全性にとってはるかの重要になっている。
たとえ資源を多く持っている石油大国であっても、独裁体制を築き、領土内で紛争が起き、裁判制度が腐敗していれば、格付けが低く、貧困国に留まってしまう。一方で、公正な裁判制度と自由な政府を持つ国は、信用格付けが高く、豊かになりやすい。
資本主義は、物質的に世の中を豊かにしたのみならず、公平性を担保する動機づけを国家に与えている。
しかし、ハラリは、資本主義の悪しき側面も指摘する。
中世末期のキリスト教圏のヨーロッパでは、奴隷制はほぼ皆無だった。その後、ヨーロッパに資本主義が台頭すると、奴隷貿易が急に盛んになった。綿花、砂糖、ゴム、タバコなどのプランテーションのために、ヨーロッパは大量の奴隷を必要とし、厖大な数の人間が、劣悪な状況で働かされ続け、死に追いやられさえした。
人類史上の汚点である奴隷貿易は、国家や政府に管理されているわけではなかった。それは、人種差別的なイデオロギーによるものというより、純粋な営利的事業であり、「需要と供給」が要求したものだった。
資本主義は簡単に暴走し、周りが見えなくなり、「成長」以外を考慮に入れることができなくなる。
自由市場資本主義は、利益が公正な方法で得られることも、公正な方法で分配されることも保証できない。それどころか、人々は利益と生産を増やすことに取り憑かれ、その邪魔になりそうなものは目に入らなくなる。成長が至高の善となり、それ以外の倫理的な考慮というたがが完全に外れると、いとも簡単に大惨事につながりうる。キリスト教やナチズムなど、一部の宗教は、炎のような憎しみから大量虐殺を行った。資本主義は、強欲と合体した冷淡な無関心から厖大な数の人間を死に至らしめた。
たしかに、資本主義によって、平均寿命や小児死亡率やカロリー摂取量などの生活水準は大きく改善された。専制的な国家の横暴が牽制され、信用が重視される社会が発展していった。しかし、資本主義の悪しき面もまた、確実に存在する。
またハラリは、「これからも経済のパイが永遠に大きくなり続けるのか?」という問題提起もしている。
まとめ
- 資本主義以前には、「経済が成長する」という考え方そのものがなかった
- 生産性を向上させる「科学」と、「未来の富に対する信用」が結びつき、停滞を抜け出して、社会は一気に「成長」へ舵を切った
- 全体のパイが増えることで、「強欲は罪」から「強欲こそが利他的」という大きな思想的転換が起こった
- 投資家からの「信用」を勝ち取り、投資を呼び込める国が繁栄するようになった
- 「成長」が至高の善になると、それ以外の側面を考慮に入れられなくなる危険性がある
以上が、『サピエンス全史』の、「資本主義」について述べていた部分の簡単なまとめだ。
より詳しい内容を知りたいのであれば、ぜひ実際に本書を読んでみてほしい。
『サピエンス全史』に関しては、要約、解説、まとめ、批判などの記事を書いているので、よければ以下も参考にしてほしい。




なお、「信用が国力に繋がる」というくだりに関して、より詳しく知りたいのであれば、田中靖浩『会計の世界史』やジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』といった書籍がおすすめなので、以下の記事も見ていってほしい。


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