田中靖浩『会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語』を要約&解説する。
本書は、会計の歴史を、世界史上の様々な出来事と絡めて描く「会計エンターテイメント」であり、歴史を遡ることで、会計、帳簿、決算書、ファイナンスなどについての見識を得られる。
ダ・ヴィンチ、レンブラント、スティーブンソン、フォード、ケネディ、エジソン、マッキンゼー、プレスリー、ビートルズなど、様々な歴史上の人物が登場するストーリー仕立てになっている。
非常に読みやすく、なおかつ面白いので、ぜひ実際に本書を買って読んでもらいたい。
芸術や歴史など、幅広い教養を得られる本書だが、ここではあえて「会計」知識の部分に焦点を絞って、手短に要約と解説を試みる。
第1章 15世紀イタリア|銀行革命|
15世紀のイタリアは、東方への玄関口という「東方貿易」にとって絶好の立地に恵まれていた。
イタリア商人は、中国やインドから様々な品をイタリアに持ち込み、それらはヨーロッパ各地に運ばれた。東方貿易にはメリットが大きかったが、同時に、船の道のりは、悪天候や海賊などのリスクに晒された。
遠方との交易というリスクに挑むイタリア商人を手助けしたのが、イタリアの「バンコ(Banco=銀行)」だ。
イタリアのバンコが商人たちに提供した重要なサービスは、「為替手形」だった。扱う金額が多くなると、それを持ち運ぶリスクが上がるので、キャッシュレスな「為替手形」は、商人たちからすればありがたいものだった。
「入金・出金」を行う「場所・時間」が異なる取引を行えるようにするのが「為替手形」だ。「場所」が違うと「異なる通貨の両替」になり、「時間」が違うと「為替レートの変動」が起こる。
「為替手形」が可能だったのは、バンコ(銀行)同士のネットワークがあったからだ。バンコは、自分たちのネットワークを広げ、「為替手形」を利用する顧客から手数料をとった。このビジネスで「バンコ」はかなり儲かり、イタリアの各都市や、パリやロンドンにも支店を持つ大組織へと成長していった。
商人がひとつの店で、自分の手金だけで商売をするのであれば、詳しい帳簿はいらないかもしれない。しかし、「バンコ」のようなサービスは、必ず「記録をつける」必要があり、そのための「簿記」の技術が発達した。
現在にも繋がる「銀行と簿記」は、イタリアで生まれたのだ。
融資をしてくれるバンコによって、商人たちは資金を用意しやすくなったが、ここから、現在でも商売の基本の型とされる「バランスシート」の概念が現れる。
ある商人が、自己資金に加えて、バンコから借り入れを行い、商売を行うことを想定してみる。
- 商人は、まず自分の金である「自己資金」を用意する。これを「資本(Equity)」と言う。
- 「自己資金」だけで足りない場合は、バンコから「借り入れ」をする。これを「負債(Liability)」と言う。
- 「資本(E)」と「負債(L)」の2つを用意することを、商売資金の「調達」と言う。
- 商人は、調達した資金で、船や香辛料などの「資産(Assets)」を買う。
この「調達と運用」を表すものを、「バランスシート(貸借対照表)」と言う。
バランスシートは、右側に「負債(L)」と「資本(E)」を配置し、左側に「資産(A)」を配置する。左右のバランスで読むのがバランスシートで、商売が成功すれば「A>L+E」となり、商売が失敗すれば「A<L+E」となるが、最終的に「A=L+E」と帳尻を合わせる。
正確な帳簿は、自らの儲けを明らかにすることができて便利なので、帳簿をつける習慣は、銀行のみならず民間の商人たちにも広がっていった。
当時のヴェネツィア商人たちが日々の取引を記録していた方法は、「ヴェネツィア式簿記」と呼ばれ、複式簿記の元祖とされている。
第2章 15世紀イタリア|簿記革命|
同じイタリアでも、ヴェネツィア地方では、家族や親族による「ファミリー」で商売をすることが多かったのに対して、フィレンツェ地方では、血縁のない「仲間」と組んで商売するケースが多かった。
商売上のパートナーシップは、「血縁」で始まる場合が多いが、産業が進むほど、もともとは他人同士だった「仲間」と商売をする方向へと開かれていった。
「仲間」たちで共同出資して事業を行うようになると、裏切り者や途中離脱者が出たり、儲けの分配を巡って揉めることも多くなる。それに対して商人たちは、「約束を文書記録で残す」ことを心がけるようになる。
中世ヨーロッパでは、何らかの口約束を記録するときは「公証人」を頼った。公証人は、今でいうなら会計士と弁護士を足して2で割ったような存在だった。
大切な約束事を口頭ではなく文章で「記録」するときは、公証人に頼まなければならなかったが、あらゆる記録の正当性を公証人に頼っていては、手間とお金がかかりすぎるので、やがて商人たちは、自分たちで記録を残すことを考え、それが「簿記の普及」に繋がっていった。
記録をしっかり残しておくと
- 正確につけた記録は対外的な「証拠」の役目を果たす
- 儲けを明らかにし、「儲けの分配」についてのトラブルを減らす
というメリットがあった。
原始的な「帳簿」は、取引先の「人名」と「貸した/借りた、売った/買った」の数字を記録しておくものだった。
やがて帳簿には、「人名」だけでなく「品物名」が登場するようになる。
イタリアの数学者ルカ・パチョーリが1494年に発表した『スンマ(算術・幾何・比及び比例全書)』という数学書がある。その中に、600ページある中のたった27ページだが、簿記について説明している部分がある。
『スンマ』の教えしたがってきちんと取引を記入すれば、「1年間の儲け」というフロー情報と、決算時に棚卸しを行う時点での「財産の内容」というストック情報を知ることができるようになる。これが「決算書」の原型であり、そのためルカ・パチョーリは「近代会計学の父」と呼ばれることもある。
毎日帳簿をつけ、フローの「損益計算書」と、ストックの「バランスシート」という2つの決算書を作る、という会計の基本的な仕組みは、15世紀イタリアの時代に完成した。
第3章 17世紀オランダ|会社革命|
15世紀の海洋貿易はイタリアの時代だったが、「インド航路の発見」によって、ヴェネツィアを経由せず直接インドを訪れて取引することができるようになり、新航路を発見したポルトガルやスペインなどの国が、海の主役になっていった。
スペインから独立したオランダは、プロテスタントのカルヴァン派が多く、商売を推奨する気風があったので、様々な商売好きが集まる商人の国だった。多くの取引が行われるオランダの首都アムステルダムの市場では、そこで成立した取引についての「終値」情報などを公表していた。品々がいくらで取引されたかという「価格表」は、商人たちにとって喉から手が出るほど欲しい情報だった。
アムステルダムは、取引が行われる場を提供するのみならず、「価格表」を公開することで、その場所の価値を高めていった。
オランダの「オランダ東インド会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie:略称VOC)」は、世界初の株式会社と言われている。
遠方と貿易するとき、小さな会社が船を出しては沈み、を繰り返すのは無駄が多すぎるので、もっと金をかけて安全で強力な船を作ったり、貿易先のインドに現地拠点を作ったりするために、オランダは、7つの会社を合併させる形で「VOC」を設立した。
VOCは、巨額の資金を長期的に調達しなければならなかったので、「見ず知らずの他人」からも金を集めようとした。それが「株主」を募る「株式会社」の原点だった。
どれだけ安全に配慮しようが、依然としてリスクが高かった遠洋航海において、VOCの株は熱狂的な人気があった。
- 「株の価値がゼロ」になる以上の負担を求められない有限責任制度
- 儲けの相当分が出資比率に応じて分配される「インカム・ゲイン」
- 証券取引所で株式を売買して利益を得ることのできる「キャピタル・ゲイン」
という仕組みがあったことで、VOCは、多くの出資者を獲得し、巨額の資金を長期的に調達することができた。
投資してもらう対価として、事業の儲けをきちんと計算し、出資比率に応じて「配当」を出さなければならなかった。そのため、経営者は、株主に対して、儲けの「報告(=account for)」を行う必要があったのだが、それが「会計(Accounting)」の語源になっている。
資金を預かった者の、出資者に対する「説明責任」が、「会計」のルーツだ。
また、アムステルダムには世界初の「証券取引所」が設置されたが、そこで株を売買することができた。自由に売買できることが、VOC株の人気を高め、資金調達をより容易にした。
現在に通じる「株式会社+証券取引所」の仕組みは、VOC株から始まった。
「見ず知らずの他人」を出資者にすることで経営の仕組みが大きく変わり、「会計(Accounting:説明すること)」は義務となった。
しかし、大成功を納めたVOCも、巨額の負債を抱えて資金繰りに行き詰まり、1799年にその活動を終えた。転落のキッカケはイギリスとの英蘭戦争だと言われているが、VOC自身の中にも大きな問題がいくつもあった。
VOCは、幅広い株主を募って資金を「調達」することには長けていたものの、資金を上手に「運用」する技量は不十分だった。
- 複式簿記は取り入れていたものの、商品別の儲けなどがわからない状態で、経営者は売れ筋を見逃すなどして儲けを減らしていた
- 監査がまったく行われておらず、適切な会計報告がされていなかったので、株主の怒りを買っていた
- 配当の計算が適切ではなく、気前よく配当し過ぎていて、内部留保が不足した状態だった
- 不正や盗難に対するチェック機能が甘く、従業員のモラル低下などの問題が起きていた
など、VOCの会計制度はまだまだ未熟で、ずさんなものだった。
VOCの大きな失敗は、後の会計制度・会計理論の発展に深く関わっている。
- 売れ筋を見逃す→「管理会計」制度の充実
- ずさんな会計→「財務会計」制度の改善
- 高すぎた配当→「コーポレート・ファイナンス」理論の構築
- 不正や盗難に対するチェック不足→「コーポレート・ガバナンス」の整備
というふうに、VOCの失敗を教訓にして、様々な会計・経営上の理論や制度が生まれた。
以上までが、『会計の世界史』「第1部 簿記と会社の誕生」の要約と解説にあたる。
続く「第2部」「第3部」の要約は以下。


めちゃくちゃ良い本だった