田中靖浩『会計の世界史』の要約と解説【2/3】第2部 財務会計の歴史

田中靖浩『会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語』を要約&解説していく。

当記事は、「第2部 財務会計の歴史」にあたる。前回にあたる「第1部」を未読であれば、先に1部のほうから読むことを推奨。

田中靖浩『会計の世界史』の要約と解説【1/3】第1部 簿記と会社の誕生

第4章 19世紀イギリス|利益革命|

「財務会計」とは、自分以外の人たちに「説明(accounting)」する義務を果たすための、外部向けの会計のことを言う。

株式を発行して「見ず知らずの他人」から出資を募った経営者は、資金を調達できる代わりに、「財務会計」の義務を負う。

鉄道が社会に大きな変化をもたらした19世紀のイギリスでは、「減価償却」という「財務会計」のイノベーションが起こった。

イギリスで、時刻表を用いて定期運行する「世界初の営利事業としての鉄道」である、リバプール・マンチェスター鉄道が1830年に開通した。鉄道会社の最大の特徴は「固定資産」が多いことだ。

「鉄道」は、土地、レール、枕木、車両、駅舎、各種設備など「固定資産」をすべて揃えないと事業を始めることができず、棚卸資産としての在庫もほとんど存在せず、固定資産を長期的に利用することで利益を出す事業になる。

「東インド会社」などの企業も、船舶という巨大な固定資産を持ってはいたが、それはあくまで商品を配るための道具で、品々を売ることで稼ぎを得ていたし、航海が1回終わるごとに大金が手に入ったから、それを見込んだ借入を行うことができた。

一方で、鉄道は、いっさい商品を持たず、日々の運賃収入しかない。

鉄道事業は、「新たな交通手段」であると同時に、世界初の「固定資産が多い株式会社の資金調達・運用」実験でもあったのだ。

鉄道会社も、株式会社である以上は株主の期待に応えなければならない。一方で、開業して間もなくの時期は投資がかさむため、なかなか儲けを出しにくかった。そこで、鉄道会社が新しく採用した会計上のルールが「減価償却」だ。

株主はその年の業績によって配当をもらうことができるが、固定資産への投資が大きい鉄道会社の場合、収支を家計簿的に処理してしまうと、「投資した期は赤字」になり、「投資がない期は黒字」になる。これでは、運用の良し悪しと関係なく「いつの時期に株主だったか」で不公平が生じるし、株主は新しい設備投資に反対するようになる。

「減価償却」は、「儲けを平準化」し、株主への配当を安定的なものにする方法だ。投資のための大きな支出を「数期に分けて費用計上する会計処理」によってそれが可能になる。

「減価償却」が考え出されたおかげで、固定資産への巨額の設備投資をした年でも「会計上の儲け」が出るようになった。

「減価償却」の登場によって、「会計上の儲け」が、単純な「収支」から離れ、「利益」というより概念化された形で計算されるようになる。

「減価償却」という巨大な固定資産税をうまく処理する必要に駆られて、家計簿的な「収入−支出=収支」から、より概念的な「収益−費用=利益」という会計の進化が始まった。その後も、様々な問題に対処するために、単なる「収入・支出」を離れて会計処理が複雑化していく。

このような、「収支」から「利益」への概念化「現金主義会計から発生主義会計への移行」と言う。

「発生主義会計」は革新的な進歩だったが、同時に「粉飾しやすい」環境を生み出した。「収入・支出」を「収益・費用」に変換する際には、どうしても人為的な操作が介入する。会計処理によって算出される「収益−費用=利益」は、一種のフィクションなのだ。

「利益」は概念的なものであり、だからこそ「黒字倒産(損益計算上は黒字だが、キャッシュは赤字)」のような、直感的には理解しがたいことが起こるようになる。

 

第5章 20世紀アメリカ|投資家革命|

もともと「会計士(Accountant)」は、株式会社がうまく行かなくなったあとの破産処理をする職業だった。やがて、経理が難解なものになっていくにつれ、存続している会社を「監査(正しく会計が行われているかの監督と検査)」するがこと、「会計士」の仕事になった。

会社の「監査」を行い、株主に対して、その会社の財務状況がどのようなものか「説明する(Accounting)」のが会計士の役割だ。

20世紀、産業革命や鉄道株の恩恵を受けて裕福になった投資家たちは、次の投資先をアメリカに求めるようになり、アメリカでは鉄道会社や製造業の会社が次々と立ち上がっていった。

20世紀のアメリカでは、欧州よりもさらにアグレッシブな投資ブームが巻き起こっていた。実は当時、インサイダー取引は法律で禁じられていなかった。モラルに反することではあったが、それを取り締まる法律が整備されていなかったのだ。そのため、当時のアメリカの証券市場は、インサイダーを含め、不正取引やインチキ、ごまかしがうごめく場所だった。

アイリッシュ移民の「ジョセフ・パトリック・ケネディ(通称ジョー)」は、州の銀行検査官の仕事でバランスシートの読み方や経営分析について学び、さらに銀行検査官の仕事を通じて、会社の裏事情を仕入れた。ジョーは、立場と情報を利用して、株価を操作しインサイダー取引で大儲けした。さらにジョーは、銀行検査官の仕事をやめて証券会社の株式取引部門に就職し、より大掛かりで悪質なインサイダー取引に手を染めた。

そんな中でも、多くのアメリカ人が証券市場への投資にのめり込んでいたが、1929年10月24日、「暗黒の木曜日」と言われる大暴落が始まった。暴落が株式市場に残した爪痕は深く、株式が1929年の水準に戻ったのは1951だった。

実態の経済が変わらないはずなのに、「株価」の変化だけで起こった大混乱に対する問題意識は、例えば経済学ではジョン・メイナード・ケインズの「有効需要の原理」のように、後の様々な成果に繋がった。「会計」の専門家の側からも、「何が原因だったのか?」「どうすればこのような事態を避けられたのか?」について考えるキッカケになった。

悪質な株操作で儲けていたジョーは、大暴落でも空売りで大儲けしていた。ジョーはルーズベルト陣営に多額の献金を行い、大統領への当選に大きな貢献をした。その見返りとして、ジョーには「アメリカ証券取引委員会初代長官」のポストが与えられた。「泥棒を捕まえるには泥棒が一番」という理屈だったが、実際にジョーは与えられた仕事をうまくやりとげ、不正がしにくいような株式取引のルールをまとめあげた。

証券市場の信頼性を取り戻すため、会計制度の改革が起こったのだ。

「証券法」「証券取引法」が定められ、インサイダー取引や株価操縦の犯罪化など、公平で透明な証券取引ルールが設けられた。

株式を公開している会社には、正確で厳密な「財務報告」が義務付けられることになった。

公開される「決算書」が正しいものかどうかの「監査」を行うのが「会計士」であり、その役割は現在も続いている。

改革以前の「決算書」は、株主と(銀行などの)債権者のために作成・報告されるものだった。しかし今後は、すでに関係のある人たちのみではなく、「これから株を買う可能性のある投資家(=実質的に世界中のみんな)」に、決算書の公開が義務付けられた。

「会社を上場するということは、決算書をすべての人に公開する義務を負うこと」になったのだ。(実際に、現在は、上場している企業の決算書を誰もが閲覧できる。)

「公開企業の会計制度」として

  • 経営者はルールに基づいて正しく決算書を作成すること
  • 決算書が正しく作成されたかどうか会計士の監査を受けること
  • 決算書をすべての投資家に対して開示すること

が義務となった。

自社の株式を公開して投資を募る(上場する)と、所有者は巨額の株式公開益を得られるし、その後の資金調達もしやすくなるメリットがある。一方で、見ず知らずの他人から資金を調達するということは、「社会的な責任を負う」ことでもある。

上場した会社が金を持ち逃げしたり粉飾したりすれば、その会社の問題に留まらず、株式市場全体の信頼性が損なわれる大問題になる。そのため、株式を公開しようとする会社は事前に厳密なチェックを受けるし、公開したあとも「キチンとした経営と会計報告」が義務になる。

日本では、上場企業が必ず投資家に公開しなければならないレポートを「有価証券報告書」と言い、公認会計士のチェックを受けた詳しい内容が書かれていて、会社側はかなりの労力を費やしてそれを作っている。

株式を公開すると、資金調達と社会的信用などの大きなメリットがあるが、そのぶん厳しいディスクロージャー(企業内容開示)を課せられることになる。現在にも続くこのような仕組みは、アメリカ証券市場の大暴落をきっかけに整備されていったのだ。

 

第6章 21世紀グローバル|国際革命|

21世紀になると、グローバル化が進み、国を跨いだ投資が当たり前になる。その際に、国ごとに違う会計基準を使っているとややこしいので、各国で違う会計のルールを国際的に統一する「会計基準の国際化」の歩みが始まる。

1990年代、ドイツの自動車メーカー「ダイムラー・ベンツ」は、世界中の顧客を持つグローバル・ブランドだった。すでにドイツの証券取引所に上場していたが、アメリカでの資金調達を目指し、ニューヨーク証券取引所への上場を計画していた。

しかし、ドイツの会計ルールでは黒字だった「ダイムラー・ベンツ社」は、アメリカの会計ルールでは赤字だった。当時、「国によって会計ルールが違う」のは多くの関係者が承知していたことだったが、ダイムラー・ベンツほどの会社に「ドイツでは黒字、アメリカでは赤字」という違いが出たことは、ちょっとした事件だった。

「ドイツでは黒字、アメリカでは赤字」だと、投資家はどちらを信じていいのかわからない。そのため、会計ルールの世界統一が計画されたが、どの国も「自国にとって有利なルール」を望むので、駆け引きが行われた。その駆け引きの中心にいたのがアメリカとイギリスだった。

アメリカは、自国の「USギャップ」をもとに国際会計基準を支配しようとしていたが、一方のイギリスは、EUや同盟国に呼びかけ、「IFRS(イファース)」と略される「国際会計基準(International Financial Reporting Standards)」を立ち上げた。

アメリカは、「IFRS」を表面上は受け入れるとしたものの、内実的には自国に有利な基準を盛り込もうとしたりして、実は現在もまだ決着していない論点があり、調整が行われている最中だ。つまり、いまだに「会計基準の国際化」は完成していない。

現在、日本の公開企業は

  • 日本基準
  • USギャップ
  • IFRS

の3つの「いずれか」の会計ルールによって決算を行っている。

現在までの「会計」の500年をめぐる変化を振り返るなら、大まかに、自分たちの事業に活かす目的で帳簿をつける「自分のための会計」から、債権者や株主、そしてすべての投資家に対して説明する「他人のための会計」といった流れがある。

会計において、「投資家への情報提供」の重要性は高まり続けているのだが、それが会計ルールにも重要な変更をもたらしていて、その一つが「原価主義から時価主義への転換」だ。

  • 「原価主義」は「いくらで買ったか?」という「金→物」を重視する見方
  • 「時価主義」は「いくらで売れるのか?」という「物→金」を重視する見方

「自分のための会計」として、身内の利害調整を重視するなら、分配できない評価益を計上しない「原価」が好まれやすい。

一方で、「他人のための会計」として、投資家への正確な情報提供を優先するのであれば、「時価」のほうが望ましい。

実は、「USギャップ」と「IFRS」という会計ルールは「時価」で、「日本基準」は「原価」を採用している。これは、国際的に日本が遅れているともとれるが、ドイツなども日本と並んで歴史的に「原価主義」愛好が強い国だ。

英米は「工業から金融業への産業シフト」をいち早く推し進めたのに対して、独日はともに製造業が強かったので「原価」を好みやすい。だが、国際的な流れとしては、「時価」を重視する投資家重視の会計基準が普及しつつある。

また、会計のルールが複雑怪奇になっていくなか、「キャッシュへの回帰現象」も起こっている。あえてややこしい会計操作をせずに、単純に1年間のキャッシュの「収入・支出」を表す「キャッシュフロー計算書」という、「単にどれだけ金を稼いだか」を示す原始的な指標も、ある種の先祖返りのように意識されるようになった。

現在の決算書においては

  • 賃借対照表(バランスシート)
  • 損益計算書
  • キャッシュフロー計算書

の3本立てが基本になっている。

 

以上までが、『会計の世界史』「第2部 財務会計の歴史」の要約と解説になる。

続く「第3部」の要約と解説は以下。

田中靖浩『会計の世界史』の要約と解説【3/3】第3部 会計管理とファイナンス

 

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