『帳簿の世界史』のレビュー&批判【書評】

ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』は、「会計」に着目した歴史を記述するベストセラー本だ。

本書の「要約と解説」や「まとめ」については、すでに別記事で述べている。

ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【1/3】 ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【2/3】 ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【3/3】 『帳簿の世界史』の面白いところ、優れた内容のまとめ

ここでは、あえて本書に対して「批判的」な内容を中心にレビューを述べたいと思う。

著者の主張が本書の中で検証されているわけではない

『帳簿の世界史』は、歴史本ではあるが、著者の主張が強めに押し出されている内容だ。

著者は、「政治の安定は会計責任が果たされる土壌にのみ実現する」と本書で繰り返し主張している。だが、その主張が客観的に検証されているわけではない。

例えば、メディチ家は会計を軽視するようになったから衰退した、という内容が出てくる。だが、メディチ家が会計をないがしろにしていく時期と、メディチ家が衰退していく時期が重なることを発見しても、それをすぐに因果関係として結びつけるのは軽率に思える。

当然ながら、歴史上の出来事に関して「○○が原因だ」と述べることは慎重になる必要がある。だが著者は、その部分を検証しようとすることにはおそらく興味がなく、「とにかく会計は大事なんだ!」という前提を採用した上で、歴史を眺めている。

つまり、「歴史を検証すれば会計が重要だということがわかる」ではなく、「会計が重要であるという前提を採用して歴史を捉え直してみた」という内容で、実証性というものはほとんど意識されていない。

細かくは挙げないが、本書の中で著者が断言している事柄に対して、「これは本当にそこまではっきり言っていいものなのか?」と首をかしげたくなるような記述もいくつかあった。

優れた記述の多い書籍だが、学術的なレベルでの実証性を重視しながら読むとガッカリするかもしれない。

 

一面的な見方に感じるところも多い

本のテーマ上仕方ないのかもしれないが、やや一面的に見すぎているように感じるところもある。

例えば、本書「第3章」のタイトルは「新プラトン主義に敗れたメディチ家」だ。

メディチ銀行の支店をいくつも作り、ヨーロッパで最大の富豪となり、ルネサンスを下支えしたことで知られる「メディチ家」は、一瞬の繁栄のうちにすぐに衰退した。その原因として著者は、「新プラトン主義」のようなルネサンスの精神に、会計のような実践的なものを低俗と見なし、本質を追求する芸術や文化を尊いとするところがあったから、としている。メディチ家は、自らが支援したルネサンスの価値観にはまり込んでしまうことによって、会計をおそろかにし、衰退していったというのだ。

だが、栄華を極めた後に衰退するのは自然の理であり、「本当にメディチ家の衰退が会計の軽視によるものなのか?」は議論の余地があるように思う。また、莫大な富を散財して芸術家たちを後押ししたからこそ、メディチ家の栄光が現在でも強く記憶されている、という側面もあるだろう。それを「新プラトン主義に敗れたメディチ家」と括るのは、タイトルとしてキャッチーではあるが、一面的すぎるものの見方のように感じる。

誤解のないように言えば、著者は「金をたくさん持っているほど素晴らしい」といったような典型的な考え方をしているわけではなく、文化的な側面をしっかり重視しているし、「会計と文化が結びつくことが重要だ」という考え方を提示している。著者の歴史の見方は、癖が強いように感じるが、決して浅いわけではない。

それでも、第3章に限らず、それはちょっと一面的過ぎるのではないか、と思ってしまう箇所がないわけではなかった。

 

「政治の安定は会計責任が果たされる土壌にのみ実現する」は本当か?

『帳簿の世界史』における、「政治の安定は会計責任が果たされる土壌にのみ実現する」という視点は、重要かつ興味深いものだと思う。しかし、「歴史を見ればこの法則が発見できる」という客観的なものではなく、あくまで著者の願望が強く混じったものに感じる。

本書の「終章」で描かれるが、会計責任を果たさない超大国である中国や、多くの国で会計の透明性が欠如していることを、著者は由々しき事態と思っているようだ。

たしかに、「公開性」、「透明性」といった概念は、民主主義政治の根幹を成すものだ。しかし、例えばハンス・ロスリング『FACTFULLNESS』によると、2012年から2016年にかけて経済が急成長したのは民主主義国ではなく、開発独裁の国であるというデータがある。

ハンス・ロスリング『FACTFULNESS』の面白いと思った箇所まとめ

「会計責任(会計の公開性)」が、政治にとって重要なものであるという主張にまったく異論はない。しかし、「政治の安定は会計責任が果たされる土壌にのみ実現する」というのは、モラルや願望としてはよくわかるのだが、客観的に主張できることだろうか?

著者は本書で、ローマの会計は杜撰で不正が絶えなかったと記述しているが、ローマは「パクス・ロマーナ」と言われる当時の最高の政治を長期間に渡って成し遂げた国だ。

日本の江戸時代は250年以上も続いたが、会計(勘定奉行など)がしっかりしていたのがその理由なのかというと、あまりピンとこない。

「政治の安定は会計責任が果たされる土壌にのみ実現する」という主張は、それほど客観的ではなく、著者の願望が多分に含まれているように見える。

 

堅実な仕事がなされている

以上までの文を読んで、「あまりちゃんとした本ではないのかな?」と思った人もいるかもしれないが、そんなことはなく、ベストセラーになっただけの内容のある良書だと個人的には考えている。

採用している前提は審議が必要かもしれないが、全体の説明は丁寧かつ堅実で、ごまかしたようなところがなく、文章には好感を持てる。

膨大な資料から、「会計」に関する多様なエピソードをまとめ、体系立てながら一冊にまとめたという点で、しっかりした仕事がなされているように思う。

著者の主張の部分に同意できるかどうかは別として、「会計」の歴史に関する体系的な知識と、「会計」にまつわる様々な興味深いエピソードを得ることができる。会計、帳簿、金融、経済、政治などの教養を求める人なら、読んで損をしたとは感じない一冊だろう。

 

「会計が文化として根付いていることが重要」という視点

著者は、会計を重視しているが、「会計がたくさん行われていれば良い」という単純な見方をしているわけではない。単に会計をやる人が増えるのではなく、「会計が文化に根付いていること(=会計が万人に開かれていること)」こそを重視しているように読める。

そして、著者は、現代の状況を「優れた会計が根付いた社会」とは見ていない。

会計に関する基準や、会計を専門とする職業が厳しく整備されていって、現在は、会計に携わる人も、会計を勉強する人も、数としては過去よりも増えている。一方で、著者は今のような状況を良いものと見ていない。

なぜなら、会計は複雑過ぎるものになってしまい、一般人にとって縁遠くなってしまったからだ。

会計は、非常に高度で複雑なものになり、基礎的なことを理解するのにさえ、専門的な教育を要するようになった。そして、会計に強い人材や、難関資格を突破した「公認会計士」などの職業は、公益のためではなく、私益のために専門スキルを使うようになった。透明性(公開性)ではなく、不透明性のために「会計」が利用されるようになったのだ。

現代において、会計は、十分に価値(有用性)が認められるものになった。しかし、「会計の公的な価値」は、むしろ下がっていると見られているのだ。

単に「会計は素晴らしい!」という単純な見方ではなく、「会計が文化に根付いていることこそが重要」という視点が提供されていて、これは本書が高く評価されている理由の一つになっていると思う。

 

以上が、やや批判的な『帳簿の世界史』のレビューになる。

基本的には良書だと思うので、会計の実務に携わっている人や、会計の難関資格を目指している人、会計に関する教養を求めている人など、様々な人におすすめしたい。

なお、田中靖浩『会計の世界史』と比べた場合だが、読みやすさで言えば、ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』よりも田中靖浩『会計の世界史』のほうがずっと読みやすい。『会計の世界史』のほうは、「公認会計士」や「会計基準」や「ファイナンス」といったビジネス向けの基礎知識を解説しているという点でも、わかりやすい内容だ。

ただ、『帳簿の世界史』は、単に「説明が優れている」のではなく、「価値のある視点を提供できている」点において評価されるべき内容だ。読みやすいわけではないが、興味のある人はぜひ挑戦してみてほしい。

 

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