複雑化しすぎた現代の金融と監査法人の問題点【帳簿の世界史】

日本語で読める、「会計」の歴史や成り立ちについて述べた優れた書籍として、田中靖浩『会計の世界史』とジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』を挙げることができる。

田中靖浩『会計の世界史』の要約と解説【1/3】第1部 簿記と会社の誕生 ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【1/3】

これら2冊を比較したとき、読みやすさやわかりやすさ、会計についての基礎的な知識の獲得を目的とするなら、田中靖浩『会計の世界史』のほうをおすすめしたい。

一方、ジェイコブ・ソールの『帳簿の世界史』は、著者の主張が特徴的な内容で、「現代の発展した会計をあまり良いものと捉えていない」ところが、面白い視点だと思う。

両者に共通して書かれているのは、「単式簿記」から「複式簿記」へと会計が発展し、事業の複雑化に伴い会計も難しいものになっていき、「公認会計士」というプロフェッショナルが必要とされたことだ。

「会計」は、様々な問題を克服するような形で、ルールの整備、「公認会計士」の誕生、基準の設定などが行われてきた。

現在は、過去の時代と比べて、「会計」の重要性が十分に認知され、会計を熱心に学ぼうとする人が増え、「会計」はそれなくしては社会が成り立たないほどの影響力を持つようになった。しかし『帳簿の世界史』の著者であるジェイコブ・ソールは、このような状況をあまり良いものと見ていない。

ソールは、会計の専門性が発展したがゆえに、むしろ会計は一般人と縁遠いものになり、過去に比べて状況は悪くなっていると考えているように読める。

ここでは、ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の主に後半を振り返るような形で、本書に描かれている現代の金融の問題の要点をまとめたい。著者のジェイコブ・ソールは、歴史学と会計学を専門としている南カリフォルニア大学の教授で、出てくる事例が主にアメリカのものであることに注意してほしい。

なお、『帳簿の世界史』の章立てに沿った要約に関しても以前記事にしているので、よければこちらも読んでみてほしい。

ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【3/3】

 

建国時から「会計」が意識されていた国アメリカ

アメリカという国は、その成り立ちからして、「会計」が意識されていた。宗教的な自由を求めたイギリス清教徒たちはアメリカに旅立ったが、一方でそれは営利目的の植民地経営のような契約の形をとってもいた。

17世紀のアメリカは、ほとんどのやりとりが物々交換だったような、お金すら珍しいような状況だったが、それでいて「債務管理」を意識していた。アメリカはその成り立ちからして「他国への借金を背負って、それをどうにかしなければならない状況で始まった国」だったのだ。

『帳簿の世界史』第10章に描かれれるが、ベンジャミン・フランクリン、ジョージ・ワシントン、アレクサンダー・ハミルトンといったアメリカ建国の父たちも、会計を重視する意識を持っていた。ジェイコブ・ソールが重視する「会計責任」についても、アメリカは先進的な国だった。

1788年に発行されたアメリカ合衆国憲法は、第一章第九条七項に「国庫からの支出は、法律で定める歳出予算によってのみ、これを行わなければならない。いっさいの公金の収支に関する正式の決算は、随時公表しなければならない」とある。このような文章を憲法に盛り込んだ当時のアメリカは、「会計責任」において革新的な国だった。しかし、その後のアメリカが優れた会計を続けたわけではないとソールは見ている。

 

公認会計士の誕生

日本においても「公認会計士」は、難易度の高い試験を突破したステータスの高い職業として知られている。

「公認会計士という言葉を知らなかった」「公認会計士がどんな仕事なのか想像がつかない」という人は、以下の記事を参考にして欲しい。

公認会計士はどんな職業?企業の監査って何?わかりやすく解説公認会計士はどんな職業?企業の監査って何?わかりやすく解説

公認会計士という職業は、「鉄道事業」によって誕生したとされている。

鉄道会社は、車両や路線や駅など、それまでの製造業とは比べ物にならないほど巨額の「固定資産」を抱え込む事業だ。巨額の固定資産の何が問題かというと、これを何の処理もせずに会計してしまうと、業績が不明瞭になってしまうことだ。

仮に固定資産を何の処理もせずにそのまま会計した場合、資材や建築のために多く投資をした時期は赤字になり、投資をしなかった時期には黒字になるに決まっている。であれば、決算書を見ても、その会社の正しい業績(実際にうまくいっているのかどうか)がわからない。

企業の業績によって、株を持っている者には配当金が支払われる。会社が設備投資をした時期に業績が必ず悪くなるのであれば、株主の反対にあって、新しい投資が不可能になってしまう。そのため、巨額の固定資産に対しては、「減価償却」という会計的な処理をして、設備投資のためにかかったコストを均す必要がある。

一方で、「減価償却」のような会計処理は、何らかの基準に基づいて自動的にこなせるわけではなく、「解釈」や「意図」が紛れ込む。事業が大規模になると、会計は複雑化して、徴税官や政府の人材だけでは手に負えないものになってしまった。

多くの収益を上げる企業の、大規模で複雑な会計を処理するために、「公認会計士」というプロフェッショナルが必要とされた。上場企業の「監査」という難しい仕事をこなす「会計の専門家」という職業が誕生したのだ。

公認会計士は、企業側には適切な会計の指導を、政府側には適切な会計が行われていることを保証する、「企業と政府との間に立つ公平なレフェリー」としての役割を果たすことが期待される。

 

アメリカの杜撰な会計が世界恐慌の要因になった

「公認会計士」という職業が生まれたからといって、すぐに適切な監査が行われたわけでは必ずしもなかった。

アメリカは会計において先進的な国だったが、20世紀前半のアメリカでは、新しいビジネスが盛り上がる一方で、会計責任の意識がかなり希薄になっていた。同時期のイギリスは、帳簿をしっかり付けることが職業倫理として根付いていたのに対して、アメリカはかなり適当だった。発展する経済に対して、ルール整備が十分ではなく、アメリカの証券取引所は上場企業の財務報告に関して何のルールも定めていなかった。上場企業は、簡単に粉飾決算ができるような状況で、収益をまったく報告しない企業すらあった。

1920年代、第一次世界大戦の影響を受けなかったアメリカは好景気に湧いていた。しかし、過剰な生産力に消費が追いついていなかったという実態もあり、またヨーロッパの国の経済がしだいに持ち直してきて、やがてアメリカで株価の大暴落が起こる。

「Black Thursday(暗黒の木曜日)」と後に呼ばれた1929年の大暴落は、長期に渡って深刻な影響を経済に与え、ニューヨーク証券市場に上場していた企業の時価総額は、1933年までに89%も失われた。アメリカのGDPは30%落ち込み、失業率は25%に達した。世界恐慌に対応するために各国がブロック経済を始め、第二次世界大戦の遠因となった。

大恐慌の原因をひとつに特定するのは難しいものの、少なくとも当時のアメリカの会計はとても杜撰なもので、決算の把握に基づかない憶測による投資市場の加熱が、急な暴落に繋がったという見方は強い。

大恐慌のあとは、銀行改革や投資の規制が盛り込まれた「グラス=スティーガル法」や、「証券取引委員会」の設置などによって、財政の健全化が目指された。

『帳簿の世界史』では、大恐慌のあとに会計基準が重視され、後の1946年から61年にかけてを、「会計士にとって黄金時代ともいうべき時期」と述べている。黄金時代の「公認会計士」は、専門性と倫理観を併せ持つ公平なレフェリーとして、企業と政府の間を正しく取り持ち、安定した経済の発展に寄与した。

しかしその後、状況は変わってくる。

 

公認会計士の競争とコンサルティング業務が会計不正に繋がる

「公認会計士」は、重要な公的役割を果たす職業だが、公務員というわけではない。これは、「弁護士」や「医師」が、公益性の高い仕事であるが民間に位置するのと同じで、会計士もまた、高い倫理観を求められながら自由競争に参加する職業でもある。

アメリカでは、会計事務所同士の競争が激しくなっていき、大手の監査法人が、コンサルティング業務に手を出すようになった。

M&Aやファイナンスが企業にとって重要なものになっていくにつれて、「会計」の専門知識は、企業経営において強力な武器と見なされるようになる。それまでに増して、会計の重要性がいっそう高まったのだ。そして、会計の専門家をたくさん抱える監査法人は、企業をコンサルティングする能力があった。

だが、「監査」という独占事業を与えられている「監査法人」が、利益目的で企業のコンサルティングをするのは、職業倫理に反する多くの誘惑を抱え込むことになる。

  • 企業の会計がきちんとなされているかチェックする「監査」
  • 企業の経営に対しての指針を提供する「コンサルティング」

のふたつは、倫理的に両立させるのが難しい。

公認会計士は、企業と政府との間に立つレフェリーとしての役割を求められて誕生した職業だが、コンサルティング業務は、企業の側に寄りすぎていた。それは、会計事務所が関与した大規模な不正会計事件という形で世間に注目された。

2001年に起こった「エンロン事件」では、名門の会計事務所である「アーサー・アンダーセン」が大規模な粉飾決算に事実上手を貸していた。

エンロンから巨額のコンサルティング料を受け取っていたアーサー・アンダーセンは、「監査」をする立場でありながら、不正な会計を黙認したのだ。

アーサー・アンダーセンは解散を迫られたが、有罪判決を受けて刑務所に入った者は誰もいなかった。粉飾決算などの会計犯罪は、株式市場の信頼性を揺るがす大問題である一方で、関わった者は有罪になりにくい。

会計は複雑になり過ぎてしまったので、「何をすれば犯罪(粉飾)なのか?」自体が膨大な議論の対象になり得るし、ルールの整備も追いついていない状況だ。今や、会計の専門家たちは、その高度な専門性を盾にして、「公開性」ではなく「不透明性」を意図的に作り出そうとする。

日本の例でも、2006年の日興コーディアルグループや、2016年の東芝の不正会計において、社会に大きな影響を与える悪質な粉飾だったにもかかわらず、誰も逮捕されていない。2011年のオリンパスの粉飾決算では刑事事件として懲役の判決が出たが、これは純粋な粉飾のみの判決ではないので判断が難しい。

2005年のライブドア事件では、堀江貴文が懲役刑をくらったが、本人は判決に納得がいかないと主張している。実際に、捜査の遵法性や判決の公平性という点では疑問が残る結果だった。(この事件については現在も様々な解釈があるが、基本的に会計事件は、もし仮に悪いことをしていても逮捕して有罪にするのが難しい一方、日本の検察と司法はかなり強引なやり方で有罪判決を出した。もし日本以外の国であれば、堀江貴文は有罪にはならなかったかもしれない。)

以上のような問題は、何が「粉飾」に当たるのかを厳密に定義できないから起こる。複雑になりすぎた会計は、様々な解釈が可能になる不透明なもので、そのような中で不正が行われても、取り締まることは難しい。

 

発展した会計が「不透明性」のために使われるように

『帳簿の世界史』では、会計を商売の武器にした人物として、15世紀イタリアの「コジモ・デ・メディチ」や、18世紀イタリアの「ジャサイア・ウェッジウッド」、会計によって成り上がった人物として17世紀フランスの「ジャン=バティスト・コルベール」などが紹介されている。

彼らが活躍した時期と比べて、現在はより「会計」の影響力が増し、上場企業は厳密な財務会計を義務付けられているし、会計的な手法は企業経営に欠かせない武器として認知されている。

一方で、『帳簿の世界史』の著者は、現在の状況を優れたものとは見ていない。かつての「会計の専門家」は、「会計責任」というみんなが正しく(実態)を把握できる「公開性」を意図していた。しかし現在の「会計の専門家」は、むしろ会計の技術を「不透明性」のために利用しているからだ。

かつては規律や責任のためのものだった「会計」が、いまや難解さによって自己利益を追求するためのものに変わってしまった。過去には、杜撰さや知識のなさによって「会計」がないがしろにされていた。現在は、意図的な難解さによって、会計責任が歪められている。

「会計の現状は、段々良くなっているように見えて、実は悪くなっている」という著者の見方に対して、反論もあるだろうが、重要な論点にも思える。

これからの時代に求められているのは、よりシンプルで公開性のある会計かもしれないし、あるいは、「ブロックチェーン」などのトレーサビリティ(追跡可能性)に関する技術革新が状況を変化させるかもしれない。

これからの時代の経済を考える上で、会計の歴史とその意義を振り返った『帳簿の世界史』が示す論点には、耳を傾ける価値がある。

 

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