「会計と文化との関わり」という『帳簿の世界史』が示した視点

「会計」という言葉と「文化」という言葉は、あまり関連がありそうなものに思えない。

「会計」は「金稼ぎのためのもの」で、「文化」は「金銭のような形で定量化されにくい価値の追求」というイメージが強いからだ。

一方で、ジェイコブ・ソールの『帳簿の世界史』は、「会計が文化に根付いているときに政治の安定と社会の繁栄がある」という価値観を提示している。これについては、「本当にそれは正しいか?」という検証や議論が必要なものとも思うが、ひとつの視点として面白く、有益なものであるように思う。

ジェイコブ・ソールの『帳簿の世界史』については、すでにいくつかの記事を出している。要約などが読みたいのであれば以下を参考にしてほしい。

ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【1/3】 ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【2/3】 ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』の要約と解説【3/3】 『帳簿の世界史』の面白いところ、優れた内容のまとめ

 

千夜千冊」という本の解説サイトを執筆、運営している松岡正剛も、『帳簿の世界史』を取り上げている。

帳簿の世界史-松岡正剛の千夜千冊

優れた内容の解説だと思うので、興味があるならぜひ読んでみてほしい。

サイトから要約するなら

 著者は、自分が書いてきた「会計の世界史」をあらためてふりかえって、もしこのような歴史から学ぶべきことがあるとすれば、それは「会計が文化の中に組み込まれた社会をこそ、真の繁栄とみなせるということだろう」と結んでいる。
会計が教育に取り入れられ、会計にそれぞれの民族や国家や共同体が培った宗教や倫理思想が反映し、芸術や哲学や政治思想が会計と並んで語られるような社会を、会計の歴史が望んできたはずだというのである。

おそらく会計というものは、「ものの出入り」を「ことの流れ」で説明するためのノーテーションとして発達してきたのだろうと思う。「ものの価値」を「ことの大小」で決めるためではなかったはずである。そのために”should give”としての「借方」と”should have”としての「貸方」を対照的に措いたのだ。そこには”should”があった。
ところが、このような認識がどこかで捩れて、会計行為の多くが表示の大小を競うゲームになってしまったのだ。それも自己表示のための自己同定ゲームであって、社会の中の相互表示のためではない。

と松岡正剛はまとめている。

かつての優れた状況は「会計が教育に取り入れられ、会計にそれぞれの民族や国家や共同体が培った宗教や倫理思想が反映し、芸術や哲学や政治思想が会計と並んで語られるような社会」というようなものだった。しかし現在は、会計から文化的なものや思想的なものが失われて、発展した会計技術が単なる数字を増やす手段になってしまったことを『帳簿の世界史』の著者は危惧している。

では、本書で示されている「文化と会計との関わり」とは、いったいどのようなものだったのか? 当記事では、『帳簿の世界史』の内容を踏まえながら、それを説明していきたい。

 

「複式簿記」の世界観

日本語で「帳尻を合わせる」という言葉は、「収支決算が合うようにする」という会計的な概念を離れて、より汎用的に「話しの理屈が通るようにする」という意味で使われる。「精算する」が「決着をつける」という意味で使われることもある。

英語では、「make ends meet(収支を合わせる)」や「blance(バランスをとる)」という言葉も、会計的な概念を連想させるが、汎用的な言葉として用いられている。

「会計」は、単に数字の増減を記録するものではなく、何かを均衡したものとして捉える思考法だった。

『帳簿の世界史』では、「単式簿記」から「複式簿記」への会計的な発展を、非常に重要なものと見ている。

「単式簿記」は、直感的でわかりやすいものの、「残高」の増減を見るような、単純なものの見方しかできない。「複式簿記」は、身につけるのは難しいが、実用性に加えて、「帳尻を合わせる」という会計的なものの見方をすることができるようになる。

「単式簿記」は、多くの人にとって馴染み深いのは「銀行通帳」で、単純に残高の増減を見るだけならば便利だ。

「複式簿記」は、ひとつの取引に対して複数の数字を記入する帳簿の付け方で、現代的な帳簿は「複式簿記」が基本だ。

「複式簿記」は、左側に「貸方」、右側に「借方」を書き、左右が釣り合うように記入する。ひとつの取引に対して両方書かなければならないので面倒なのだが、左右の数字が合うことを目指すことでミスをチェックできるし、資産や負債や利益が把握しやすくなる。

現実的なメリットがあるのはもちろんのこと、「複式簿記」は思想を持っていた。「複式簿記」の世界観では、自分の収入は誰かの支出であり、貸方にとっての「負債」は、借方にとっての「資産」になる。単なる数字の上下という単一的な見方ではなく、「釣り合い」を意識しながら世界を見渡すことができるようになるのだ。

しかし、松岡正剛の解説によると、文化が失われた会計は、「左右の釣り合い」ではなく、「数字の大小」を見るようになる。これは、思想的には、「複式簿記」から「単式簿記」への逆戻りであり、そのような意味で「会計の劣化」が起こっている。『帳簿の世界史』の著者であるジェイコブ・ソールは、それを嘆いているのだ。

「複雑化が進んだゆえに現代の会計が劣化している」という話については、詳しくは以下の記事に書いているので、よければ読んでいってほしい。

複雑化しすぎた現代の金融と監査法人の問題点【帳簿の世界史】複雑化しすぎた現代の金融と監査法人の問題点【帳簿の世界史】

 

善行と悪行の最終決算

キリスト教が絶大な影響力を持っていた中世ヨーロッパにおいて、「決算」という概念は、多くの人に意識されるものだった。

人間の死後、善行と悪行とを秤にかけられる「最期の決算」があると思われていたのだ。

当時のキリスト教の価値観では、金稼ぎはあまり倫理的なことではなく、金を扱う職業や会計慣行の大半は「教会法」に反していた。教会法が厳密に施行されることはなく、実質的には黙認されていたらしいが、中世の商人や銀行人たちは、金を稼ぐことに対して常に罪の意識を抱えていた。

当時は、通帳の残高が増えていくことは、同時に神への負い目が増えていくことをも意味していたのだ。

中世の教会は、金を稼ぐことのやましさを換金する術を心得ていた。キリスト教的な会計では、「金を稼いだ」という悪行を、「キリスト教のために寄付をした」という善行によって帳尻を合わせることができる。実際に寄付をしようとする人は多く、当時の教会の教皇庁の大広間には、大勢の会計係が陣取っていたほどだ。

ちなみに、以前ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』に関しての記事を書いたが、かつては今のような「経済が成長すると全体のパイが増える」という前提が存在しない。そのため、多くの金を稼ぐということは、そのぶん誰かの富を奪っていると考えられていた。それが過去の経済に対する一般的な観念だった。

「経済が成長する」という資本主義の前提はどれほど突飛なものだったのか?【サピエンス全史】

科学技術などによる生産力の向上によって、経済は「ゼロサムゲーム」ではない、全体のパイが増えていくようなものと認知され始め、そこから資本主義が加速していった。

金を稼ぐことが罪であるという当時の価値観は、資本主義が浸透した現代から見れば、馬鹿げたものであり、あるいは教会の悪徳が目立つ歴史に見えるかもしれない。

しかし、少なくともそこには「文化と会計との関わり」があったと、『帳簿の世界史』の著者は見ている。当時において貯金の残高は、増えれば増えるほど良いというものではなく、「帳尻合わせ」をどこかで念頭に置かなければならないものでもあったのだ。

 

形質の帳尻合わせをしたダーウィン

『帳簿の世界史』では、会計的な概念が思想に影響を与えたかもしれない、興味深いエピソードが紹介されている。

『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンは、イギリスの陶磁器メーカー「ウェッジウッド」を創立したジョサイア・ウェッジウッドの孫だった。

ウェッジウッドは、会計を重視し、それを経営に活かすことで成功してきた家系であり、ダーウィンもまた会計が重視される環境で育つ。ダーウィンの癖は、自分のやったことを記録しておくことで、例えば妻とトランプ遊びをした時間などをまめに記入し、数字を集計して何らかの結論を出そうとした。きちんと帳簿をつけることは、ダーウィンに根深く身についていた教養だった。

ダーウィンが、彼のいとこのフランシス・ゴルトンからアンケート調査を受けて、自身と父親とを比較した際の記録が残っている。ダーウィンは、父親と自分の特徴を、「複式簿記」のように、収支が釣り合うものとして表現している。

例えばダーウィンは、「気質」という項目では

  • 自分の欄に「やや神経質」と記入
  • 父親の欄に「楽天的」と記入

「勉学」という項目では

  • 自分の欄に「たいへん勉強熱心」と記入
  • 父親の欄に「勉強嫌いで理解力も鈍いが、会話では好奇心旺盛で、逸話の収集に情熱を燃やす」と記入

「特別な才能」という項目では

  • 自分の欄に「とくにないが、帳簿をつけて事業を把握すること、手紙に返事を書くこと、投資をすることは得意である。自分は秩序立てて仕事をすることが習慣になっている」と記入
  • 父親の欄に「実務に長け、大きな利益を挙げて損をしない才能を持っている」と記入

このような記述は、自分と父親それぞれの価値の収支を、合わせようとしているように読めなくもない。

過去には、ダーウィニズムが優生思想と結び付けられたこともあるが、ダーウィンは、ある形質を絶対的に優れたものと考えず、それぞれの形質の特徴を「帳尻の合うもの」として捉えていた可能性がある。

また、ダーウィンは主に『人口論』で知られるトマス・マルサスを愛読していた。マルサスも会計を思想に取り入れた人物で、人間が等比級数的に増えていけば食糧難に陥ることを論じたことで有名な『人口論』では、「平衡」という概念が用いられる。生存資料(食料などの人間が生きていくために必要な資源)と人間の数は、「平衡(帳尻が合った状態)」でなければならないという発想がとられている。

 

文化に組み込まれなくなった会計

『帳簿の世界史』が描くところによると、ルネサンス期から19世紀にかけては、「会計」が今と比べて文化や思想の中に根付いていた。

「会計」は、良くも悪くも庶民の生活に溶け込んでいて、会計が得意な人間は、あるときは几帳面な守銭奴として描かれたり、あるときは秩序を重んじる紳士として描かれた。

複雑化しすぎた現代の金融と監査法人の問題点【帳簿の世界史】複雑化しすぎた現代の金融と監査法人の問題点【帳簿の世界史】

上の記事に詳しく書いたが、「会計」は、現在は過去に比べてより「学ばなければならないもの」になっている。であるにもかかわらず、会計が文化から切り離されてしまったのだ。

今では、そもそも会計と文化を結びつけるという発想自体をなかなか持ち得ないが、『帳簿の世界史』によると、かつてはそうではなく、会計は文化に溶け込んでいた。

もちろん昔と今とでは様々な状況が違うし、著者の主張が正しいのかも検証が必要に思える。だが、「文化と会計との関わり」という視点は、ひとつの視点として持っておいてもいいかもしれない。

 

 

ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』については、以下のような記事も書いているので、興味があれば見ていってほしい。

『帳簿の世界史』の面白いところ、優れた内容のまとめ 『帳簿の世界史』のレビュー&批判【書評】

 

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