小熊英二『日本社会のしくみ』第1章の要約と解説【日本社会の「三つの生き方」】

小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』の要約と解説を書いていく。

「日本人の働き方」が、欧米やグローバルスタンダードと乖離していると感じている人は多いかもしれないが、本書を読めば「なぜ日本人は今のような働き方をするようになったのか?」がわかる。日本で仕事をしているほとんどの人にとって、とても有益な内容だと思う。

日本の雇用制度は、「新卒一括採用」「年功序列」「定期人事異動」「終身雇用」「企業別組合」などの、海外では見られない特徴があるとされる。このような慣行がどのようにして形成されたのかを、近代化が始まった明治時代まで遡り、歴史社会学の手法によって明らかにしていく。

本書の序章では、まず

  • 何を学んだかが重要ではない学歴重視
  • 一つの組織での勤続年数の重視

の2つを、日本社会に見られる特徴としている。

このような特徴は、「日本人の特性」や「日本の伝統」と結びつけて語られがちだ。しかし、歴史を遡れば、必ずしも深い歴史に根付いたものではなく、その時々の事情が積み重なって形作られた慣習であることがわかる。とはいえ「慣習の束」は、一度定着してしまうと、現実的に大きな強制力を持ち、その最中にいる人にとっては絶対的なもののように映る。

雇用・労働に関しては、大勢が熱心に関わることなだけに、様々な人が様々な意見を述べる。その中には、「日本社会は欧米に比べて不合理なので、これからは制度を合理的なものにしていくべきだ」というものもある。一方で本書を読めば、日本社会には日本社会の合理性があり、欧米の社会にはそれぞれの国ごとの不合理があることもわかる。

社会のしくみは、当事者にとっては全体像が見えにくいものであり、外にあるものが極端に理想化されたり、あるいは内にあるものが神聖視されたりもするが、現実的な改善を目指す上で、まずは正確な認識が必要になる。

本書は、「日本社会のしくみが海外と比べて良いのか悪いのか?」や「具体的にどのようにして日本の雇用制度を改善していけば良いか?」などの話題を扱っているわけではない。本書が意図しているのは、議論したり改善したりしていくにあたっての、正確な現状認識だ。

これまでの日本社会に対する膨大な研究が、「雇用・労働」を中心にまとめられていて、今後、日本人の働き方について何らかの議論をしていく上での前提になり得る内容に思う。

新書ではあるが文量が膨大で、読み通すのは難しいだろうが、日本社会に生きる多くの人にとって有用な内容であることは間違いないと思われるので、ここでは「要約」と「解説」を試みたい。

実際に本書を読んでもらうのが一番良いが、内容の確認や、わかりにくかったところの補足解説などに当記事を利用してもらえるとありがたい。

ひとつひとつの章が重要な内容を扱っているので、長くなるが、章ごとまとめている。

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当記事では、第1章 日本社会の「三つの生き方」を扱う。

「第1章」の概要

第1章では、「日本社会の現状認識」と「大まかな戦後日本の変遷」について書かれている。「日本社会のしくみ」を論じるにあたっての大まかなアウトラインが示されている。

いわゆる「日本型雇用(日本人の働き方)」と言われるような、終身雇用かつ年功序列で賃金が上がっていくような働き方で生活できている層は、多くても日本人の「約3割」ほどとされる。これは、「昔は高かったが今は減って3割になった」のではなく、「昔も今も変わらず3割」なのだ。

「日本型雇用」が完成したのは60年代とされているが、それから現在に至るまで、「日本型雇用」で生活している人の比率自体はずっと約3割だった。ではそれ以外の人がどういう働き方をしていたかと言うと、60年代から70年代までは、地域コミュニティで生活している人がほとんどだった。地元から出ずに、農林自営業、小規模零細事業、兼業農家、家族従業者、中小企業の非正規労働者など、「大企業正社員」とは別の形で生活していた。

日本社会の格差のあり方は、「約3割の日本型雇用」と「それ以外の地元で暮らす人たち」というものだった。ただ、70年代には「一億総中流」「地元の時代」などの言葉が言われたように、ふたつの間の格差は決定的なものではなかった。地元で雑多な働き方をしていた人たちは、一家総出で働くことも多かったので、世帯の収入で見ればそれほど低くはなく、地方は地方でそれなりに豊かだったのだ。

しかし80年代以降は、「地元」が解体されていき、地方コミュニティに根付かない非正規労働者が増えていった。持ち家、田畑、地域コミュニティが充実していれば低賃金でも暮らしていけるが、都市部のひとり暮らしではそうもいかない。

日本社会の問題が論じられるとき、「大企業正社員になれる人が減って、非正規労働者が増えた」と認識されることが多いが、実は「大企業正社員」の比率は60年代から現在までそれほど変化がない。問題は、地元で「自営業」や「家族従業者」として働く人が減って「非正規労働者」が増えたことにある。雇用労働者自体の数が増えたので、賃金労働をする人の中での正規社員の比率が下がったのだ。

日本の社会保障の枠組みは、70年代までの状況を見て作られたので、80年代以降に増えた非正規労働者たちをカバーする仕組みが存在せず、問題になりやすい。

以下、図解なども交えながらより詳しく要約していく。

 

現代の日本社会の「三つの生き方」

「同じ会社にずっと勤め続けて、年齢とともに給料が上がっていき、賃金収入だけで生活していける」という「日本型雇用」の割合は、実は日本全体の3割程度で、この比率は60年代から現代までそれほど変化していない。

「日本型雇用」が3割だとしたら、残りは何にあたるのか。それを説明するために、著者は、現代(2015年)の日本人の働き方を

  • 大企業型(約26%)
  • 地元型(約36%)
  • 残余型(約38%)

の3つの類型にわけて説明している。

これらはあくまで大まかなモデル(理念型)であり、厳密なものではないが、これを仮定すると全体の見通しが良くなる。

大企業型

現在、日本人の約26%が「大企業型」にあたる。

企業や官庁に雇われて賃金をもらい、「正社員・終身雇用」の枠組みで働く人たちと、その扶養家族が「大企業型」に分類される。

所得が比較的多いのが特徴だが、一方で、「労働時間が長い」「転勤が多い」「(保育所が足りないなど)政治から疎外されている」という不満を持ちやすい。

地元型

地元から出ない生活を送る人たちのことで、現在、日本人の約36%が「地元型」にあたる。

地元の中学や高校に行ったあと、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、地元で働き続ける人たちと、その扶養家族がここに分類される。

収入はそれほど多くない場合もあるが、地域のコミュニティがあり、家族に囲まれて生きていきやすいし、政治が身近でもある。一方で、「過疎化」や「高齢化」、「地元の仕事不足」が問題になっている。

残余型

本書では、「大企業型」と「地元型」というかつての主要な生き方に分類されなくなってきた人を、「残余型」としている。

残余型の典型的な生き方を想定しているわけではなく単純に全体から「大企業型」と「地元型」の比率を引き算して残った38%が「残余型」にあたるとしている。

ひとつの企業や官庁に長く勤めているわけでもなければ、地元に定着しているわけでもない人たちが「残余型」だ。

都市部の非正規雇用で働いている人や、各地の中小企業を転々としている人たちは、ここに分類される。

「残余型」に否定的な意味はない。例えば、起業して成功した人もそこに含まれるし、必ずしも所得が低いとも限らない。しかし、政治的な声をあげるルートがなく、「大企業型」と「地元型」を前提として作られた旧来の社会保障制度から漏れ落ちてしまうので、全体として見れば社会問題とされやすい。

 

「大企業型」は変わらず、「地元型」が減少し、「残余型」が増えた

「日本型雇用」が完成した高度経済成長期から、現在にかけて、日本社会は確かに大きく変化した。

だがそれは、よく言われがちな「正社員になれない人が増えた」のではなく、「地域共同体が解体された」というイメージのほうが現状を捉えている。

「日本型雇用」と言われる「大企業型」の比率は、実は、それが完成したと見られる60年代の時期から、それほど増えても減ってもいない。一方、「地元型」と言われる地域コミュニティで暮らしている人たちが解体され、「残余型」が日本社会における最大派閥になった。

 

日本では、70年代に「一億総中流」「地方の時代」という言葉が言われていた。当時、「大企業」と「地方」の賃金格差はあったものの、「地方」もそれなりに豊かだったのだ。

しかし、70年代は一時的な均衡状態に過ぎず、80年代からは、地域コミュニティで自営業者や家族従業者として働いていた人たちが、企業に雇われる雇用労働者となる動きが進み、「大企業正社員」にも「地域コミュニティ」にも属さない「残余」となっていく。

地域コミュニティが解体されること自体は、近代化による必然的な変化でもあり、日本に限ったことではない。日本に特徴的なのは、「大企業型」が変化していないことだ。

「日本型雇用」としてイメージされがちな「大企業正社員」の生き方は

  • そもそも日本人の大多数がその生き方をしていたわけではない
  • 時代を経ても約3割という比率がそれほど変化していない

という特徴があると言える。

「日本型雇用」は、素朴なイメージとは違って、多くの日本人に行き渡っていたわけではないし、時代につれて変化しているわけでもない。

地域コミュニティが解体され、その人数が減ったぶんだけ正社員ではない「雇用労働者」自体の数が増えたので、割合で見れば、被雇用者における正社員の数は減っていると言える。だが、「正社員」そのものの比率は、驚くほど変化していないのだ。

 

「カイシャ」か「ムラ」を前提に社会保障が組み立てられた

問題として指摘されているのは、日本の社会保障制度は、「大企業型」と「地元型」がほとんどを占めていた時期に作られたもので、その枠組みが現代まで続いているが、「残余型」はカバーされていないことだ。

日本の健康保険や年金の制度は、「職域(カイシャ)」「地域(ムラ)」を単位として作られている。それが作られた当時は、「カイシャ」か「ムラ」のどちらかに、誰もが所属していることが前提だったからだ。

 

「大企業型」では、国民全員が加入する「国民年金」に加えて、雇われている企業を通じて「厚生年金」に加入する。「国民年金」と「厚生年金」を組み合わせれば、貯金や退職年金などと合わせて、退職しても生きていける額の年金を受取ることができるとされている。

「国民年金」だけの場合、それだけでは都市部では生活できないが、もともと「国民年金」は、農林自営業者が想定されていた。「地元型」の人たちは定年がないから、年をとっても働き続ける。持ち家があり、近所付き合いがあり、野菜や米は自給自足で、同居している子供たちにも所得があるなら、年金が少額でも問題なく生活できる。つまり「国民年金」は、そもそも年金だけで生活することを前提とした制度ではない。

だが、社会保障の枠組みが出来上がったあとの80年代から、「カイシャ」にも「ムラ」にも当てはまらない「残余型」が増えていった。

現在の日本の社会保障は、「残余型」を想定したものではないので、結果的に「残余型」の増加は貧困などの社会問題に繋がりやすい。

 

日本社会の格差のあり方としての「二重構造」論

戦後の日本における主要な格差は、「大企業」と「中小企業」の間にあり、これは50年代から「二重構造」という言葉で議論されてきた。

日本は、ひとつの国の中に「先進国と後進国」を抱え込んでいるような状態で、都市部にある大企業が「先進国」の役割を果たし、地元の中小企業や自営業が「後進国」の役割を果たしているように捉えられた。このような格差が、「二重構造」と呼ばれてきた。

日本には「大企業」と「中小企業」の格差があり、それは企業の規模と給与の関係を見れば歴然だ。

一方、「大企業」と「中小企業」の格差があることが、生産性の低い中小企業が生き残ってきた理由でもある。

通常の経済学の図式では、労働者は高い賃金を得られる雇用に移動し、賃金は大企業の水準で平準化されるので、生産性の低い中小企業や自営業は淘汰されてしまう。一方で日本の場合は、「雇用の移動」がそれほど自由ではない。

日本では、「大企業から中小企業」へ行くことは比較的容易だが、「中小企業から大企業型」へ行くことは難しい。

企業間の移動が公平ではないがゆえに、「大企業」と「中小企業」の棲み分けが成り立ち、生産性の低い中小企業や自営業が生き残ることができた。その一方で、「企業規模」による格差が生まれた。

 

日本以外の国にとっては、「企業規模によって給与が決まる」という慣習はあまり見られない。「どの企業で働いているか?」よりも、マネージャーか、事務員か、工員か、といった「どの職務を行えるか?」のほうが、収入の決定要因になりやすい

そのため、日本のような「二重構造」が成り立つためには、「○○企業の正社員でありさえすれば、どんな職種でも構わない」という雇用慣行が根付いていなければならない。

日本においては、職務を重視しない大企業の雇用慣行が、「大企業型」と「地元型」という類型を作り出し、その類型が社会保障制度などによって補強されることで、社会の構造が形作られていった。

 

近代化の影響と戦後日本社会の変遷

日本に限らない世界的な傾向として、近代化が進むほど、自営業者や家族従業者が減って雇用労働者が増え、地方から都市部に人口が流入していく。

一方で日本には、近代化の流れに逆らって地方に人口が逆流し、ある種の均衡を生んだ動きがあった。

まず、戦時中から戦後しばらくの日本では、「農林自営業が増加する」という近代化の流れに逆行する動きが起こっていた。戦争によって都市部の産業がなくなり、地方に移動して農林業を営む人が多くいたからだ。ただそれも一時的なことで、50年代半ばから高度経済成長期に突入した日本は、農林自営業が減って雇用労働者が増えていった。

もうひとつ日本に特徴的なのは、農林自営業以外の自営業が、80年代初頭まで増加していたことだ。高度経済成長期に「集団就職」で都市部にやってきて働いていた中卒労働者の多くは、開業して「一国一城の主」になることを夢見ていたし、実際にそれに成功して小売店などを開業する者もいた。

70年代から80年代の日本は、イギリスやドイツやアメリカと比べて、小売店の数が多いことを特徴としていた。(ひとつ前の見出しで述べた「二重構造」の影響もあり、)欧米では企業の生産性の合理化が進んでいた時期に、日本は零細中小企業や自営業が保護されていた。

そして、1973年の石油ショック後、公共事業として地方に雇用が積極的に作られた。

基本的には、「近代化が進むに従って、自営業や家族従業員が減り被雇用者が増え、都市部への人口流入が進む」という大枠は日本も変わらない。

だが日本においては、

  • 大企業の雇用慣行ゆえに生産性の低い中小企業が生き残りやすかった
  • 戦争によって地方で農林自営業を営む人が一時期増えた
  • 零細中小や自営業など「一国一城の主」になりたがる人たちの動きがあった
  • 公共事業により地方に雇用があった

などの要因が重なり、「一億総中流」「地方の時代」などという言葉が言われるくらい、地方はそれなりに豊かな時期があった。

「大企業型」と「地元型」との間には、「二重構造」と言われるような格差が指摘されつつも、それなりに安定していたし、それなりに豊かでもあった。しかしそのような均衡は長くは続かなかった。

上の図を見ればわかるように、基本的に雇用労働者の数は増加し続けている。小規模零細企業の家族従業者として働いていた女性や高齢者は、企業に非正規として雇用される雇用労働者となっていったのだ。

約3割とされる「大企業正社員」の比率は変わらなくとも、「雇用労働者」が増えれば、「雇用労働者における正社員の比率」は下がっていく。

90年代からは、大学進学率が上昇した一方で、「大企業正社員」の採用枠は変わらなかったので、就職難や非正規雇用が大きな社会問題となった。

2000年代に入ってからも自営業と家族従業者の減少は顕著で、地方から都市への人口移動がさらに進んでいった。

 

戦後日本史の概観

第1章において、著者は「戦後日本史の概観」を手短にまとめている。以下、そのまま引用する。

(1)敗戦から1950年代前半までは、地方に人口が滞留し、農林自営業が増加するという歴史の逆行がおきていた。これは戦争によって都市部の産業が壊滅し、地方に移動せざるを得なくなったためである。

(2)1950年代後半からは、高度成長にともなって、都市部への大規模な移動がおきた。就業者が減少したのは、おもに地方の農林自営業である。「団塊世代」の就職がこれに重なり、労働力の供給が経済成長を押しあげた。高校・大学の進学率の急上昇が起きたのも、この時期である。

(3)1973年の石油ショックの時期に、高度成長は終わった。公共事業の配分が行われたためもあって、都市部への人口移動は止まり、大学進学率も政策的に抑制された。大企業は雇用を増やさず、むしろ人員整理を行ったが、中小企業と非農林自営業が過剰な労働力を吸収した。

(4)しかし1980年代から、非農林自営業が減少しはじめた。その前後から、家族労働者の女性や高齢者など、縁辺労働力の非正規雇用が増大した。この時期以降、正社員の数は、バブル期の一時的増加をのぞけばほぼ一定である。

(5)バブル崩壊を経た1990年代には、高卒労働市場が急激に縮小し、大学進学率が上昇した。しかし新卒採用の増加がなかったため、人数の多い「団塊ジュニア」世代には、非正規労働に就く者も多かったと考えられる。

(6)2000年前後からは、景気の変動にかかわりなく、都市部への人口移動が常態化した。自営業および小企業の就業者減少が顕著となり、非正規雇用が増大した。とはいえ、日本型雇用慣行は、コア部分では大きく変化していない。非正規労働者の比率が高いのは、女性・高齢者・若者などの縁辺労働力である。

 

「第1章」のまとめ

日本人はかつて「一億総中流」だったというイメージが、なんとなくある。実際に「一億総中流」という言葉が流行したのは事実だ。だがそれは、いわゆる「年功序列と終身雇用が保証された正社員」という働き方が全員に浸透していたという形で実現していたわけではない。日本の「一億総中流」は、都市部の「大企業型」と地方の「地元型」という格差がありながらも、地方がそれなりに豊かだったことで成り立っていた。

「日本型雇用」は、「かつてはそれが主流だったが今は失われてしまった」のではなく、最初から賃金収入だけで十分な生活ができる「大企業型」の生き方の人は多数派ではなかった。

「日本型雇用」の慣行は、「二重構造」と呼ばれた企業規模による格差を生んだが、そのために生産性の高くない自営業や中小企業が生き残りやすくなり、「地元型」の地域コミュニティの豊かさとも合わさって、70年代は特に格差の少ない状態だった。

80年代からの日本の変化は、「大企業型」の生き方はむしろほとんど変わらず、「地元型」が解体されて「残余型」が増えていくという形で起こった。90年代から高学歴化が進んでも、「大企業型」の枠は限られていたので、就職難や非正規雇用が問題視された。

「大企業型」の比率にそれほど変化がなくとも、自営業や家族従業員が減って非正規社員が増えたので、結果的に、「雇用労働者に占める正社員の割合」は減っている。

日本の社会保障制度は、「大企業型(カイシャ)」か「地元型(ムラ)」のどちらかに所属していることを前提に作られたので、それ以降に急に数が増えた「残余型」は、政治的なルートを持たず、福祉から漏れ落ちるので問題視されやすい。

 

以上が、『日本社会のしくみ』第1章 日本社会の「三つの生き方」のまとめになる。

第2章の「要約と解説」は以下。

小熊英二『日本社会のしくみ』第2章の要約と解説【日本の働き方、世界の働き方】

 

 

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