小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』の第2章「日本の働き方、世界の働き方」の要約と解説をしていく。
前回にあたる「第1章」の要約と解説は以下。

目次
「第2章」の概要
「日本の働き方」と「欧米の働き方」を対比する形で、雇用慣行の違いを説明している。
「欧米」といっても国ごとに違うが、本書は「日本社会」の特徴を示すことを目的に、大まかに類型化している。
日本社会の慣行は、欧米と比較して不合理に見えることが多々ある。だが実態は、日本には日本の合理性があり、欧米には欧米の合理性がある。
良く見える部分と悪く見える部分は、往々にしてトレードオフになっているので、「欧米では○○だから日本も見習おう」というように表面的な特徴に着目しても、それを成り立たせている交換条件を見落としてしまいやすい。
第2章では、日本と欧米を対比し、どのような前提がその慣行を成り立たせているのかについて、わかりやすい図式を提示している。
三層構造
第1章で説明した日本社会の慣習は、「企業規模によって格差が生じる(大企業と中小企業の間に格差がある)」というもので、これは「二重構造」と呼ばれた。
欧米における労働者間の格差は、「三層構造」と考えるとわかりやすい。
世の中には多様な職務が存在するが、あえて3つに類型化すると
- 目標を立てて命令する仕事(上級職員)
- 命じられた通りに事務をする仕事(下級職員)
- 命じられた通りに体を動かす仕事(現場労働者)
に分かれる。
「二重構造」が「企業規模による格差」とするなら、「三層構造」は「職務内容による格差」だ。
具体的には、
- 企画、経営、管理、マネジメントなどを行うのが「上級職員」
- 事務職員や中級技術者など、一定の教育レベルや専門スキルが必要な、実務的な職務を行うのが「下級職員」
- 肉体労働や工事現場など、命じられた定型的な職務をこなすのが「現場労働者」
という区分けになる。
もちろんこれらは大まかな分類に過ぎない。また、同じ「三層構造」のような特徴が見られても、国によってあり方は異なる。
例えば、フランスでは「上級職員」と「下級職員」の区分の間に大きな格差があるが、ドイツでは「下級職員」と「現場労働者」の区分の間に大きな格差がある。
「三層構造」は欧米によく見られる特徴で、アジアやアフリカでも、欧米系企業の影響を強く受けた大企業は類似の「三層構造」をとることが多いと言う。
「欧米の労働者はバカンスが多い」というのは、主に「現場労働者」や「下級職員」の話で、「上級職員」は激務になりやすい。
「欧米は成果主義だ」というのは主に「上級職員」の話で、「現場労働者」や「下級職員」はそもそも目標を設定できる立場ではないので、成果主義の対象になりにくく、むしろ法律で権利を厚く保護される。
第1章では、「新卒一括採用」や「終身雇用」など、のいわゆる「日本人の働き方(日本型雇用)」が、日本人の大部分に当てはまるものではなく、日本人の約3割に当てはまるものに過ぎないことが述べられている。同じように、「欧米の働き方」といっても、それが全員に当てはまるわけではないし、欧米の場合は「どの職務を担うか」によって働き方が大きく異なる場合が多い。
日本は「社員の平等」で、欧米は「職務の平等」
日本の採用慣行では、「どの会社に入ったか?」が重要になる。日本における大きな格差は「大企業」と「中小企業」の間にあるからだ。そのため、日本においては「どれくらいの規模の会社に就職しているか?」が重要視されることが多く、「どの職種か?」はあまり意識されない。
欧米の採用慣行では、「どの職種か?」が重要になる。「マネジメント職か、事務員か、現場作業員か」というような「職種」の間に格差があるからだ。大企業の現場作業員や下級職員になることは難しくないので、日本のように「A社に就職したい」という意識はそれほど強くない。
労働者たちは、労働運動によって経営者から権利を勝ち取ってきた経緯があるのだが、その権利に対する捉え方が、日本と欧米では異なる。日本では「社員の平等」が労働者の権利であり、欧米では「職務の平等」が労働者の権利になる。
- 日本企業は「社員の平等」意識が強く、同じ会社の正社員で、同じ勤続年数であれば、どのような職務を担当していても似たような待遇になる。逆に、同じ職務をしていても会社が違えば待遇が異なる。
- 欧米企業は「職務の平等」意識が強く、同じ職歴と資格ならば、どの会社で働いても似たような待遇になる。逆に、同じ会社でも職務が違えば待遇が異なる。
ざっくり言うと、日本は「どの会社に所属しているかが重要」で、欧米は「どの職務の資格と経歴を持っているかが重要」な傾向がある。
引用した図によると、日本には「経歴によって職務が移動していくが、会社の移動をしにくい」慣行が、欧米には「職務の移動をしにくいが、会社の移動はしやすい」慣行があると言える。
職務(ジョブ)が前提の働き方
「三層構造」の働き方では、まず「職務(ジョブ)」が前提にあり、それに則して労働者を集める形をとる。
例えば、アメリカでは、労働者を募集する際に「職務記述書(job description)」を用意するのが一般的だ。
職務記述書には、
- 賃金
- 勤務条件
- 勤務事務所
- 所属部署
- その職務に必要な知識・学位・資格
- 労働基準法での地位
などが主に記入される。
雇用主が請け負ってほしい「職務(ジョブ)」の内容と条件を明確にして契約するのだ。
日本は「形だけの役職」が多いが、欧米の「役職」は一般に、業務の責任や待遇と密接に関わっている。
このような働き方では、「同じ職務だが企業が違うので賃金に差がつく」ということは起こりにくい。労働者側はなるべく良い条件の募集を選ぼうとするからだ。一方で、それができるためには、「職務(ジョブ)」で連帯した労働組合が影響力を持っている必要がある。賃金を下げようとする経営者に対して、企業を横断する「職業団体」が交渉する形で、職務の相場が決まる。
「何らかの職務を、募集(応募)し、契約する」のが基本原理であれば、日本のように、職務や契約が曖昧なままの新卒一括採用のようなことは起こらない。
日本では「人事部」が採用を一括で担当している場合が多いが、欧米の場合、例えば会計係の募集であれば、「経理課長」が採用決定を下し、「人事部」はそれを追認するだけということが多い。経理の人数を増やすかどうかは、経理をマネジメントする職務を請け負っている経理課長の裁量の範囲であるのが通例で、新しく人を採用する人件費が追加で必要な場合は、経理課長が人事部と交渉することになる。もし人件費が増やされて、それに見合っただけの成果が出せなければ、経理課長のマネージャーとしての評価が下がることになる。
「三層構造」では、上に行くほど給料は高いが競争は激しく、法律で保護される度合いが下がる。一方で、下に行くほど給料は低いが競争が緩く、裁量がない代わりに法律で厚く保護される。
欧米の働き方でよく使われがちな「成果主義」は、基本的に「上級職員」に当てはまる。上級職員は、雇用契約の際に自分で給与交渉し、業務目標を自ら設定することが多い。このような目標管理制度が「成果主義」と呼ばれ、これによって給与に大きな差がつく。
一方で「下級職員」や「現場労働者」は、目標を設定する裁量がないことが多く、割り振られた職務を確実にこなすのが原則だ。そのため、「成果主義」ではなく、むしろ契約時点で待遇が保護される。
「現場労働者」や「下級職員」にも、パフォーマンスによって賃金に幅をつけようとする動きもあるが、同種の職務であれば上下1〜2割り程度の幅がせいぜいで、極端な待遇の差をつけにくいというのが実情のようだ。個人の成果を正確に評価するのは難しいし、上司の主観が多く入った評価を下せば訴訟に繋がるリスクがある。
欧米の職務契約は、職務内容や勤務場所などを契約時に決めるので、経営側の決定だけで人事異動をすると契約違反になる。そのかわり、日本企業のように年数に応じて自動的に昇進・昇給するわけではない。原則として雇われた職務のまま働き続けなければならず、キャリアアップをしたければ、企業内で努力するのではなく、新しい学歴や資格を取得しようとするのがセオリーになる。
高学歴化していく欧米と、相対的に低学歴になっていく日本
「職務に応じて募集する」欧米の原則の場合、すでに職歴のある人材が有利になって実務経験のない若者が不利になる傾向があり、若年失業率が高くなりやすい。
若者は、大学や大学院、職業訓練学校などで資格や単位をとったり、インターンとして見習いで働いて実務経験を積みながら、実務経験のカバーを不足しようとする。
また、多くの「現場作業員」や「下級職員」は、20代終わりから30代で賃金が頭打ちになってしまうので、熱心な人であれば社外で資格をとるなどの方法で、より待遇の良い職務を目指そうとする。
アメリカの大学は、修士号や博士号をとるといかに年収が上がるかをアピールして学生を集めることが多い。ヨーロッパの大学は、アメリカほど露骨ではなく、アカデミズムを重視しようとする傾向があるものの、「修士号や博士号がなければ良い待遇の職に就きにくくなっている」ことは共通している。
日本と違って欧米は、キャリアアップのために大学や大学院に入りなおす人が多いので、大学生の平均年齢が高い。(日本が18歳なのに対し、OECD平均が22歳、アメリカ23歳、スウェーデン24歳、アイルランド26歳。)ただ、必ずしも学問に対する向上心の高さゆえではなく、単にキャリアアップするためにそうせざるを得ないという事情がある。
かつての欧米は、「上級職員」の入り口に、四年制大学の学士号を必要とした。年代が進むと、修士号や博士号がほぼ必須になった。「下級職員」は、かつて高卒程度だったのが大卒程度になった。「現場作業員」は中卒程度だったのが高卒程度になった。「三層構造」が維持されたまま、それぞれ求められる学位が繰り上がるという「高学歴化」が起こった。
一方で、日本は「大企業の新卒採用=大卒」という形で固定されているので、受験競争は厳しくなっても、「要求される学位が高くなる」という形での高学歴化が起こっていない。そのため、日本は「大卒」の時点までは高学歴化が比較的早く進んだ国だが、「大学院」の進学率が上がらず、現在は相対的に低学歴な国となっている。
大学偏差値を重視する日本の慣行
日本においても欧米においても、学歴競争は激しい。だが、「学歴」の性質が違うので、例えば「日本とアメリカのどちらが学歴社会か?」という疑問は、質的に違うものを量的に比較することになりやすく、あまり意味がない。
日本は、「大企業の新卒採用=大卒」が固定されているので、欧米に見られる「博士号・修士号・学士号」という序列が機能しない。その代わり「A大卒・B大卒・C大卒」という序列、つまり「その大学に入る難易度」が非常に重視される。日本以外の国にも名門大学は存在するが、日本ほどあらゆる大学が「偏差値」で細かく序列化されているわけではない。
日本の学校教育で「偏差値」が発案されたのは1957年で、もともとは指導のための指標だったが、受験対策として学校の順位付け活用されるようになっていき、70年代になってからは「学校ランキング」として本格的に広まった。60年代から70年代には大学進学率が大きく上昇し、「大卒」というだけでは意味がなくなって「どの大学を卒業したか」が重視される時期になっていたが、その指標として「偏差値」が使われるようになっていったのだ。
日本では、「どの大学の入試試験を突破したか?」が最も就職に直結する慣習ができ、これは現在に至ってもそれほど変化していない。
近年の日本企業は、他国との競争を意識して博士号取得者を採用するようになってきたと言われるが、現状は修士課程修了者の年齢に3年ぶんをプラスした給料という扱いが多いという。博士号を評価しているというよりは、博士課程卒でも差別はしないという姿勢にとどまっている。
基本的には、日本の新卒採用者は、どんな学位があろうと、一律に未熟練労働者として扱われ、企業内のシステムによって、最初から仕事を覚え、昇進していく。そのような日本社会の採用において重要なのは、社内システムに対応するための「ポテンシャルの高さ」であり、大学の偏差値がそれを表していると見られている。
つまり、「職務(ジョブ)」を前提とした欧米の雇用システムが、「職務に対応した専門性(大学で何を身に着けたか?)」を見て採用を決めるのに対して、日本は「社内教育に対応できるポテンシャルの高さ(どの大学の入学試験を突破したか?)」を見て採用を決める慣行になっている。
「ジョブ」か「メンバーシップ」か?
本書では、日本の雇用形態を「メンバーシップ型」、欧米その他を「ジョブ型」と名づけて類型化した濱口桂一郎の論が紹介されている。
「新卒一括採用」や「定期人事異動」といった日本型雇用の慣行は、「ジョブ」にこだわらない「メンバーシップ型」だからこそ可能になる。
大量の新人を「一括で採用」すると、既存の社員はどこかに押し出される形になり、必然的に「大規模な人事異動」が起こる。「職務」を重視して契約を結ぶやり方なれば、このような仕組みは到底成り立たない。
日本型雇用は、「ジョブ」にこだわらず、経営側の都合で社員のジョブの変更を迫ることができる慣行と言える。その代わりに、大学の選考や職務内容を問わず、勤続年数を重ねていけば待遇が上がっていく「年功序列」が機能している。
また、日本社会では、労働者を解雇するのは簡単ではない。「メンバーシップ」で人を集めた場合、「仕事がなくなった」あるいは「仕事の成果を出していない」という理由で社員を解雇することは原則としてできない。もし社内でうまくいっていないのであれば、その人に見合った仕事を見繕わなければならない。日本社会の経営者は、社員の「ジョブ」を変更できる権限を持つが、社員を解雇する権限を持たない。
欧米では、「ジョブ」で人を集めるので、「仕事がなくなった」ときに社員を解雇するのは比較的容易だ。ただし経営者は、社員の「ジョブ」を勝手に変更する権限を持たない。
一部だけを取り出して憧れたり批判することはできない
それぞれの国の慣行は、どれも一長一短であり、一部だけを抜き出してそのまま適用できるわけではない。
- 日本では、「経営者側の都合で異動や転勤を命じられる」一方で、「正社員であれば解雇されにくい」
- 欧米では、「職務契約にない仕事をさせられることはない」一方で、「職務がなくなると解雇されやすい」
これらはトレードオフになっているので、例えば「欧米では転勤を命じるなんて人権侵害だから、日本企業も見習うべきだ」というのは、ある慣行を可能にさせている交換条件を見落としている。日本の大企業では、たしかに経営側の都合で人事異動を命じられることがあるが、その代わり社員は首を切られにくい。
リーマン・ショック後のアメリカでは、不況により仕事がなくなったので、数百万人が簡単に解雇された。一方で日本は「派遣切り」にさえ強い批判が起きた。これは日本の外側から見れば、自分たちも見習うべき事例として映るかもしれない。だが、日本には日本の、アメリカにはアメリカの、「それを可能にさせている交換条件」が存在する。日本は社員を解雇するのは難しいが、配置転換は簡単にできる。
欧米は、労働者の権利が「職務の平等」という形で実現され、日本では「社員の平等」という形で実現されたと先に述べた。
- 「職務の平等」の場合、職務を移動するのは難しい(上級職から下級職への移動はできるがやりたがる人は少ない)が、会社の移動はやりやすい
- 「社員の平等」の場合、会社を移動するのは難しい(大企業から中小企業への移動はできるがやりたがる人は少ない)が、職務の移動はやりやすい
「社員の平等」という慣行が成り立っている日本の場合、社内に入ってからの努力によって昇進するチャンスが得られるので、大勢の社員がモチベーションを保ちやすい。一方でそれは、末端の労働者までもが、上級職レベルの査定や目標管理に晒されることでもある。労働意欲を高く保ちやすいが、過重労働を招く原因にもなる。
日本型雇用は、博士課程を重視しないので、専門性を育てにくいという欠点もある。また、社内での年功が昇進に強く関わるので、出産などでキャリアが途切れやすい女性に不利な制度でもある。
一方、「職務の平等」を重視する場合は、失業率が高くなりやすく、高学歴化が進むことで格差が固定されやすいという問題もある。
それぞれの社会にはそれぞれの「しくみ」があり、メリットとデメリットが両面になっている場合が多いので、良い面を表面的に取り出して適用すれば成功するわけではない。とはいえ、改善が不可能なわけではない。むしろ改善を目指すからこそ、正確な経緯の把握が必要になる。
「第2章」のまとめ
第2章では、日本と欧米の働き方の対比が行われた。
- 日本の働き方は「大企業―中小企業」の「二重構造」
- 欧米の働き方は「上級職―下級職―現場作業」の「三層構造」
- 日本は「社員の平等」
- 欧米は「職務の平等」
- 日本は「会社(メンバーシップ)」が前提
- 欧米は「職務(ジョブ)」が前提
このような違いは、例えば「学歴」のあり方にも影響を与えている。
日本の場合は、「大企業の新卒採用=大卒」が固定されて、大卒から上の高学歴化が起こっていない。また「職務の専門性」ではなく「社内教育に適応できるポテンシャル」が重視されるので、大学のランクが偏差値ごとに細かく区切られ、「難易度の高い入学試験を突破したこと」が重視される社会になる。
欧米の場合、「三層構造」を維持したまま、「職務に応募する条件が厳しくなる」という形で社会の高学歴化が起こり、上級職に応募するためには修士課程や博士課程が必要になった。欧米社会のような高学歴化は、良い仕事に就くための教育期間が長くなるので、「格差が固定化されてしまう」傾向がある。一方で、そのような高学歴化が起こらなかった日本では、「専門性が育ちにくい」「女性が働きにくい」などの問題がある。
社会のしくみは、良い部分と悪い部分がトレードオフになっているので、表面的に良いところを見習おうとするだけでは改善することができない。
以上が、『日本社会のしくみ』第2章 日本の働き方、世界の働き方のまとめになる。
第3章の「要約と解説」は以下。

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