『日本社会のしくみ』の内容を図解つきで簡単にまとめてみた

日本の働き方には、欧米などと違うところがいくつも見られるし、そこに疑問を持ったり、不満を感じたりするのは、日本社会で働いている人にとっては当然のことと言える。

小熊英二著の講談社現代新書『日本社会のしくみ』は、日本社会に関する様々な先行研究をもとに、「なぜ日本は今のような働き方なのか?」を明らかにしようとする本である。

雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルなど、多角的な視点から、「日本社会のしくみ」が解説される。日本社会で働く労働者にとって必読の内容になっている。

当記事では、『日本社会のしくみ』を、図解つきで簡単にまとめてみた。

自分の働き方を考えるうえでも、社会のことを考えるうえでも、非常に重要な内容なので、気になる方はぜひ読んでほしい。

第1章 日本社会の「三つの生き方」

本書では最初に、現代の日本人の働き方を

  • 大企業型(26%)
  • 地元型(36%)
  • 残余型(38%)

の3つにわけている。

  • 「大企業型」は、「正社員・終身雇用」の枠組みで働き、企業からの賃金のみで生活できる人
  • 「地元型」は、地元から出ない生活を送り、家族や地域コミュニティの助けを借りて生活している人
  • 「残余型」は、「大企業型」と「地元型」のどちらにも当てはまらない人

この分類によって、ここ50年ほどの日本社会がどのように変化していったのかを説明しやすくなる。

60年代から現在にかけての日本社会の変化は、

  • 「大企業型」は変わらず
  • 「地元型」が減って
  • 「残余型」が増えた

という形で起こった。

いわゆる「日本型雇用」の仕組みが完成したのが60年代とされているが、その時期から現在まで、「大企業型」で生活していた人は全体の約3割に過ぎない。

一方で、60年代から70年代は、「大企業型」以外のほとんどが「地元型」の暮らしをしていた。その後、近代化が進んで地域コミュニティが解体され、地元で自営業者、家族従業者として働いていた人たちが、非正規の雇用労働者などの新しい働き方によって生活するようになり、「残余型」の増加が進んだ。

「地元型」が削られて「残余型」になり、約3割の「大企業型」はほとんど変わらない、というのが、ここ50年ほどの変化なのである。

 

昔はみんなが「大企業型」のような正社員で働いていたけど、今はそれが失われてしまった、というわけではない。もともと、「賃金のみで暮らす正社員」という働き方ができていたのは、全体の約3割程度に過ぎなかったのだ。

70年代は、「一億総中流」や「地方の時代」という言葉が言われた時期だった。実際に、格差が少なく、貧困率も低かった。そして、当時の豊かさは、「地元」によって成り立っていた。

日本は「企業規模による賃金格差」があり、「大企業正社員」と、「地方の中小企業、小規模事業、自営業」などで働いている者とでは、賃金ベースでは明確な格差があった。しかし、「大企業型」ほど大きな給料をもらえなくとも、家族全員が細々とした労働をすれば、世帯年収はそれほど低くならないし、持ち家や自作農作物や地域コミュニティがあれば、「地元」でも豊かな暮らしをすることができた。

つまり、「一億総中流」は、「みんなが正社員」という形ではなく、「大企業の働き方」と「地元の働き方」との格差がありながらも、「地方」がそれなりに豊かであるからこそ実現したものだった。

だが80年代以降は、近代化の流れが進んでいき、地元で生活している人たちが、都市部の雇用労働者になる傾向が強まっていった。「正社員」以外の、「派遣」や「アルバイト」という形で、企業に雇用されて生活する人の数が増えたのだ。「大企業型(正社員)」の数が変わらなくとも、雇用されて働く人の総数が増えたので、「雇用労働者に対する正社員の比率」は下がった。

「大企業型」が減ったのではなく、「地元型」の暮らしが解体されて、「残余型」が増加したというのが、変化の実態なのだ。

なお、日本の社会保障制度などは、「大企業型」と「地元型」のみで社会が構成されていた時期に作られた。そのため、現在の日本の社会保障は「残余型」を想定しておらず、「残余型」は社会問題になりやすい。

 

例えば、「国民年金」は、定年制度のない「地元型」の人が、仕事を継続しつつ、家族や地域コミュニティがあれば暮らしていけるだろうという設定の金額であり、年金だけで生活することを想定していたものではそもそもなかった。持ち家や家族や地域とのつながりがなくなれば、生活の多くを市場サービスに頼らざるをえず、「国民年金」だけで暮らしていくことは難しい。

社会問題が語られるときに、「正社員が減った」ことが問題視されがちだが、「大企業型」は実はそれほどは減っておらず、「地域コミュニティが解体されて孤立した雇用労働者が増えた」のが実態である。

 

第2章 日本の働き方、世界の働き方

日本には、「大企業と中小企業」との間に大きな格差があり、これは「二重構造」と呼ばれる。

日本の「二重構造」においては、「どんな仕事をしているか?」ではなく、「所属している企業の大きさ」によって待遇が異なるのである。

 

欧米では、「同じ仕事をしていても企業規模によって待遇が違う」という形での格差はそれほど見られない。

欧米の場合、「どの企業で働くか?」で待遇が変わることはそれほどなくとも、「どの職種を担うか?」で待遇が大きく変わる。

欧米のような「職務内容による格差」は、

  • 目標を立てて命令する仕事(上級職員)
  • 命じられた通りに事務をする仕事(下級職員)
  • 命じられた通りに体を動かす仕事(現場労働者)

という3つに分類されることが多い。これらは「三層構造」と呼ばれる。

 

「三層構造」においては、「上級職員」ほど、待遇は良いが、競争が激しく、法律で保護される度合いが低い。

「現場労働者」のような単純作業ほど、待遇が悪いが、競争がなく、法律で労働者の権利がしっかり保護される。

 

「三層構造」の欧米では、まず「職務(ジョブ)」が前提にあり、それに則して人材が募集される。労働者は会社と契約することになるが、日本ほど「会社」のウェイトが大きいわけではない。

日本では、「職務が不明瞭なまま会社に所属する」慣行が強いのに対して、欧米では、「職務の内容と条件を明確にして会社と契約する」慣行が強い。このような違いは、どちらが良いというものではなく、一長一短ではある。

  • 職務を限定せず「入社」する「日本型雇用」は、専門性を評価しにくいという欠点がある一方で、企業の様々な部署を経験しながらキャリアアップできるという強みもある。
  • 「職務契約」を重視する欧米の雇用システムは、専門性が評価されやすいが、職務が固定化されてしまうので、労働者のモチベーションの低下や格差の拡大が起きやすい。
  • 日本には、「経営側の都合で移動や転勤を命じられる」慣行がある。しかしそれは、「正社員であればよっぽどのことがなければ解雇されない」慣行に繋がる。
  • 欧米では、「職務契約にない仕事をさせるのは違法」になる。だがそれは裏返せば、「職務がなくなれば解雇されやすい」慣行に繋がる。

ある慣行には、それを可能にさせている交換条件があり、表面的な良い部分のみを取り入れるのは難しい。良い面と悪い面が、トレードオフになっている構造があるのだ。

どの社会にも共通して言えることだが、労働者は、「安定した雇用」や「安定した賃金」を求め、経営者と交渉して、自らの待遇を守るための権利を勝ち取ろうとする。それは、日本においては「社員の平等」という形で、欧米においては「職務の平等」という形で成り立った。だが、その勝ち取った権利が格差を固定化する側面もある。

  • 日本の場合、大企業と中小企業との間に大きな格差があるが、同じ会社に入社してしまえば同じ待遇という「社員の平等」
  • 欧米の場合、どの職務を担うかの間に大きな格差があるが、同じ職務を担当しているなら同じ待遇という「職務の平等」

 

第3章 歴史の働き

なぜ、日本においては「社員の平等」で、欧米においては「職務の平等」という違いが出たのか。

日本においては、「企業を超えた基準」が根付かなかったがゆえに、「会社に対して」労働者の権利を確保するやり方が主流になった。逆に言えば、欧米社会では、個々の企業を超えた「職務の基準」が整備されていった歴史がある。

近代以前から、ヨーロッパの職人たちは、労働組合を組織して、組合が認めた人のみを働けるようにしてきた。これには、安い謝礼で仕事を受注しようとする労働者の新規参入を防ぐ目的があった。そのような労働組合は、安い給料で人を雇いたい経営者と対立するが、お互いに妥協点を見いだせる場合もあった。

労働組合は、労働者を教育し、技術を保証する役割を担うようになった。これは、安定した労働力を必要とする経営者にもメリットがあった。

「労働組合」があることによって、経営者は、

  • 労働者を安い給料で雇うことはできない
  • その代わり、労働者の教育と技術保証を組合にやってもらえる

ようになる。

労働組合は、職業訓練や資格認定を通して、その仕事を担える労働者の供給を独占することで、経営側と交渉力を持とうとする。

このような労働組合は、個々の企業を超えた、労働者同士の横の繋がりであり、そのようなしくみが機能している社会において、「○○という仕事の待遇」は、「経営者全体」と「労働者全体」の大規模な交渉によって決まる。

日本の場合は、企業ごとに労働組合があり、個々の企業のメンバーが所属する企業に対して組織する「企業別労働組合」という形の労働組合が主だ。一方で、欧米は、もっと組合交渉の規模が大きい。

欧米では、労働組合が企業を横断して全国的に存在しているので、経営側も全国的に連合して望む。「○○という職業の基本賃金」は、国や州という単位の交渉によって決まる場合が多い。

「どの会社で働いていても同じ仕事をしていれば待遇は同じ」が成り立つためには、個々の企業を超えた基準がなければならない。欧米の場合、同じ職務を担う人たちの連帯意識が形成されていった歴史があり、労働者たちは「職務」という形で企業横断的に団結して、経営側と交渉してきた。

また、近代化に伴って、職業別労働組合は、大学院や専門家団体という形で姿を変えていくこともあった。いずれにしろ、個別の企業を横断する形で、何らかの影響力を持ちうる団体があるからこそ、「職務の平等」が可能になる。

裏返して言えば、日本型雇用の特徴は、「企業を超えた基準」が定着せず、労働者が個々の企業に対して「企業別労働組合」を組織し、「社員の平等」という形での待遇改善を求めたことにある。

 

第4章 「日本型雇用」の起源

前回までに、日本の格差は「二重構造」と述べたが、戦前から50年代あたりまでは、日本も「三層構造」だった。つまり日本は、「日本型雇用」のシステムが形成されることで、「三層構造」の格差から「二重構造」の格差へと変化したのだ。

「二重構造」になる以前の、日本の「三層構造」には、欧米とは違った日本ならではの特徴があった。

欧米の三層構造が「職務」に対応していたのに対して、日本の三層構造は「学歴」に対応していた。

 

日本の場合、「職務内容」ではなく、「学歴」が大きな影響力を持つピラミッド構造が形成されていたのだ。その経緯には、「急速な近代化」という事情が関わっている。

「職務にこだわらず、身分(学歴)で待遇が決まる」というのは、日本だけの特徴ではなく、国に勤める「官」において一般的に見られる制度だ。

「官」は、「民間」と違って、「企業横断的」という概念が存在せず、自らの国に忠誠を尽くす以外にはない。「官」で働く者は、「官」の都合による職務の変更を受け入れなければならず、専門性(何をやったか)よりも官等(身分)によって秩序が決まる。

「日本型雇用」は、「官」の影響が「民間企業」に強く及んだ結果と言うことができる。欧米諸国と比べて、急速な近代化を進めた日本では、「官」が「民」により直接的な影響を与えた。

欧米では、近代化による変化が、旧来の「職業組織」や、旧来の「身分秩序(貴族)」と対立しながら、秩序が形成されていくということが起こった。

一方で日本においては、

  • 近代化が急速に進んだので、「熟練工」の技術があまり意味を持たなかった
  • 「士族」という身分階級が早々に退潮したので、「学歴」が「身分的指標」として機能するようになった

日本における急速な近代化は、急速に既存の秩序を無効化した。その結果、新しい秩序を正当化するものが「学歴」しかなかった。そのため、日本においては「学歴」が急に大きな影響力を持つようになり、「学歴に対応した三層構造」という秩序が出来上がった。

 

第5章 慣行の形成

日本の官僚制度は、プロイセン(ドイツ)を参考に設計された。しかし、当時のドイツと日本とでは大きく事情が異なっていた。

ドイツにおいては、すでに近代教育を受けた人材が供給過多で、官吏のポストは限られた特権になっていた。一方で、日本の場合、行政需要に対して近代教育を受けた人材が圧倒的に不足していた。

急速な人材供給が必要だった日本では、帝国大学の卒業生を大量に省庁に迎え入れた。これが、「職務」を定めないまま、学校卒業後の人材をとりあえず一括で採用するという「新卒一括採用」の原型になる。

黎明期の官庁においては、職務の明確な区分けなどが存在しない手探りの状態だったので、職務内容や仕事の成果を客観的に規定するのは難しかった。そのため、一括採用された官僚たちは、基本的には年次(勤続年数)によって等級が上がっていった。これが「年功昇進」の原型になる。

「年功昇進」が制度として定着すると、昇進するには若いうちに官僚になったほうが有利なので、「新卒一括採用」が強固になる。また、「新卒一括採用」「年功昇進」が根付くと、必然的に大規模な人事異動が多くなるので、「定期人事異動」が定着する。

  • 新卒一括採用
  • 年功昇進
  • 定期人事異動

は、「日本型雇用」に特徴的に見られる慣行だが、これらは日本の「官庁」において定着し、のちに「民家企業」にも波及した。

当時、近代教育を受けた人材は政府の役職に就くことが多かったが、「民間企業」も近代教育を受けた大卒人材を欲しがり、「官職」に就いた場合と同等の待遇を提示することが多かった。そのため、「民間企業」が「官」と同じような「年功昇進」を約束し、それが企業の「新卒一括採用」や「定期人事異動」に繋がっていった。

「官」の仕組みを「民」が真似ることは、日本に限ったことではない。ただ日本の場合、急速な近代化によって、官僚に大きな裁量が与えられたという事情がある。

日本の「官僚」は、他国と比べて、「裁量が非常に大きい」のが特徴だった。

「官」は利権と結びつきやすいので、欧米では「官」の影響力を制限しようとする動きがあった。

例えば日本が参考にしたドイツでは、

  • 専門性を重視する
  • 権限を明確にする
  • 文書主義を徹底する

などによって、官僚が裁量を持ちすぎないように、制限を課そうとしてきた。

一方で、急ごしらえで制度化された日本の官僚システムは、職務と権限が曖昧なまま、非常に大きな裁量が与えられた。

日本の組織の特徴として挙げられるものに「大部屋」があるが、急ごしらえで作られた日本の行政組織は、「課」という大まかな単位まで分けられたあと、そこから先の職務や責任は定められなかった。そのため、それぞれの課には、「一種の独立王国」のような裁量があった。

日本の場合、そもそもの「官」の成り立ちからして「職務を明確化する」という意識が希薄であり、「官」を真似た「民」もその影響を受けた。

 

第6章 民主化と「社員の平等」

日本においては、戦後の民主化と労働運動において、「社員の平等」を目指す労働運動が展開されたのが特徴だった。

「企業横断的な基準」が重視される欧米では、「同じ仕事をしているのであれば同じ待遇」という「職務の平等」が重視され、自分たちの「職務」の待遇を良くしようとする形で労働運動が起こった。

一方で、日本では、「同じ会社に所属するならば同じ待遇」という「社員の平等」が重視され、自分たちが所属する会社の「正社員(上級職員)」と同じ待遇を求める形で労働運動が起こった。

 

「三層構造」という格差の秩序があった中で、「全員が平等な社員」という形の運動が実現した背景には、インフレにより格差が平準化され、「同じ国民」としての運命共同意識を育んだ、第二次世界大戦という総力戦がある。

また、日本では職務と待遇が対応しているわけではなかったので、「根拠のない待遇の違い」は、労働者たちからすると純然たる差別に映り、単なる身分の違いのような差別を解消することが労働運動の目的となった。

結果的に、「社員の平等」が達成され、「三層構造」の格差が解消される方向に向かったが、「社員の平等」の内側(大企業の一員になれた者)と「社員の平等」の外側との間で、「二重構造」という新しい格差が生まれるようになった。

 

「社員の平等(日本型雇用)」という権利が確立したことで、それを享受できる者とできない者という、日本に特有の「二重構造」の格差が生まれた。

「日本型雇用」では、「年齢が高いほど高賃金になる」という「年功昇進」が、権利として重視されていた。職務と待遇が必ずしも結びつかないので、「勤続年数」で給与が決まるシステムとなっていったのだ。

戦後に提唱されたのは、「生存に必要なだけの賃金を払うべき」という「生活給」の発想だった。「生活給」の考えでは、勤続年数などに関係なく、「養う家族の多い中高年に高賃金を支払うべき」となる。この「生活給」の発想は、のちの労働争議により、「賃金は同じ企業の勤続年数に比例する」という落とし所で決着した。

経営者側にとっては、「年齢」だけを見る「生活給」よりも、「勤続年数」のほうが、労働者の能力と相関が高く、納得できる着地点だったからだ。労働者側にとっても、同じ企業に長く勤めるほど給与が上がっていくという権利は魅力的だった。

「年功昇進」という権利は、正社員として「入社」した労働者は経営側の都合で簡単に解雇されない権利でもある。

これによって、「日本型雇用」では、

  • 給与が勤続年数に比例する
  • 労働者を簡単に解雇できない

という慣行が強固なものになった。

「年功昇進」は、「新卒一括採用」「定期人事異動」とも連動したパッケージになっており、このような「日本型雇用」のあり方は、60年代には慣行として確立されたものになっていた。

 

第7章 高度経済成長と「学歴」

「社員の平等」が成り立った労働運動以外の要因として、「進学率の上昇」がある。

進学率が上昇すると、「大卒・高卒・中卒」の比率が変わるので、「少数の大卒を上級職員とする」慣行は変化を迫られる。

高学歴化は、日本のみならず、どの社会でも起こる現象だ。欧米の場合は、進学率の上昇に伴って「求められる学位の上昇」が起きた。

 

欧米では、以前までは「上級職員」に「大卒」を募集していたのが「大学院卒」となるなど、社会全体として求められる学位が上がっていく。

「待遇」と「学位」が結びついているのではなく、「待遇」と「職務」が結びついている欧米では、「職務」の応募のための必要条件がスライドするように上昇するという形の「高学歴化」が起こったのだ。

一方で日本の場合、「待遇」と「職務」が結びついているわけではなく、「大卒を上級職員として採用する」という慣行があるのみだった。そのため、欧米のような「学位の上昇」は日本では起こらなかったが、代わりに、偏差値による序列化と、入試競争の激化という形の「高学歴化」が起こった。

 

かつての「大卒・高卒・中卒」の比率が崩れ、大卒が増えていくなか、日本企業は「年功序列」という形で「高学歴化」に対応しようとした。

  • 大卒
  • 高卒
  • 中卒

というピラミッド構造ではなく、

  • 勤続年数が長い社員
  • 勤続年数が中間の社員
  • 勤続年数が短い社員

というピラミッド構造への転換が起こった。

このため、日本企業においては、大卒人材が現場労働者レベルの仕事を担うことになったが、勤続年数によって上級職員レベルの仕事にキャリアアップしていける仕組みでもあった。

日本型雇用のシステムにおいては、企業を横断する基準が定着せず、「社内のがんばり」などの漠然としたもので評価されながら、基本的には年功によって賃金が上昇していった。

このような日本型雇用の慣行は、

  • 欧米のように入り口の時点で待遇が固定化されず、労働者のモラルと勤労意欲を高めやすい
  • 会社に忠義を尽くす「会社人間」にならざるを得ず、過剰労働を招きやすい

という両面の評価がある。

 

第8章 「一億総中流」から「新たな二重構」へ

「大卒進学率の上昇」と、「社員の平等」を求める運動によって、「日本型雇用」のパッケージが形作られていったが、それは構造的な問題を抱えていた。

  • 少数の大卒が「上級職員」
  • そこそこの高卒が「下級職員」
  • 多数の中卒が「現場労働者」

というピラミッドを

  • 少数の年配が「上級職員」
  • そこそこの中年が「下級職員」
  • 多数の若者が「現場労働者」

としたのが「日本型雇用」の対応だったが、このやり方では、組織を拡大し続け、より多くの新卒社員を入社させ続けなければ維持できないという難点があった。

そして、1973年のオイルショックによって高度経済成長期が終わり、多くの日本企業が「日本型雇用」の構造的問題に直面した。

これに対して、日本企業は、

  • 「人事考課(出世の基準)」を厳しくする
  • 「社員の平等」の「外部」を作り出す

ことによって、問題に対処しようとしてきた。

 

「日本型雇用」は、高度経済成長が終わったあとも、「出向」「非正規雇用」「一般職」などの「社員の平等」の「外部」を作り出すことによって、その制度を維持し続けてきた。そしてそれは、現在も継続中だ。

第1章で述べたように、「日本型雇用」の特徴は、「変わっていない」ことにある。

60年代に「日本型雇用」が完成したが、その働き方で暮らしていける人の比率は、全体の約3割で、その比率は今もほとんど変化がない。

高度経済成長が終わり、社会が大きく変化していった中で、「変わらずに維持されてきた」のが「日本型雇用」の特徴と言える。その一方で、「日本型雇用(社員の平等)」の適用範囲の外側では、大きな変化が起こっていた。

一般的な傾向として、近代化が進むほど、自営業者や家族従業者が減り、雇用労働者が増えていく。ここ50年ほどの間、「雇用労働者」の割合は増え続けてきた。「日本型雇用」が適用される3割の比率が減ったわけではなくとも、「雇用労働者」が増えているので、「雇用労働者における正社員の比率」は下がっていく。

実は、高度経済成長が終わった70年代は、「一億総中流」「地方の時代」と呼ばれたほど豊かで、地域間賃金格差、階級間年収格差、全体の貧困率などが低い時期だった。70年代は、雇用労働者が増えていく動きは進んでいたが、それでもまだ自営業が多く、地域コミュニティが機能していた、均衡点のような時期だった。

日本の場合、「二重構造」という格差があったからこそ、小規模事業や自営業が生き残りやすいという側面があった。

「二重構造」が指摘される日本においては、所属する企業の規模によって待遇が決まった。また、「年功制」のため、会社を移動するデメリットが大きい社会だった。そのような社会では、大企業から中小企業へは移動しやすいが、中小企業から大企業へは移動しにくい。

「企業間の移動が不自由」で、企業規模による賃金格差があったからこそ、生産性の低い小規模事業や自営業でも生き残ることができた。

企業間の移動が自由だと、賃金は大企業の水準で平準化されるので、生産性の低い企業は淘汰されやすい。「二重構造」の格差があった日本だからこそ、生産性が低くとも事業として成立していたという事情がある。

 

中小企業や自営業が生き残りやすかったのに加え、日本は40年代から50年代にかけて、戦争によって都市部の産業が破壊され、農家の比率が戦前より高まるという逆転現象が起きていた。その後も、農村票の維持を目的とした政策が進められ、「兼業農家」として地域にとどまりながら働くことが可能だった。

たしかに、日本には「二重構造」という格差があった。一方で、70年代の日本は「地元」が豊かだったのが特徴であり、生産性の低い業種でも、家族全員で働けば世帯年収は低くならないし、持ち家、自作の農作物、地域コミュニティなどがあることで、「地元」でも豊かに暮らしていくことができた。

だが、80年代以降からは、「地元」が解体される流れがますます進んでいく。地域コミュニティから切り離れて雇用労働者になった者は、生活コストの高さに見合う賃金を得られないことが多く、社会問題になりやすい。

これが、第1章でも述べた、「地元型」が減って「残余型」が増えていく流れである。

日本の社会保障の仕組みは、「大企業型」と「地元型」が主要だった70年代の状況を見て作られているので、「残余型」は問題になりやすい。

90年代からは大学進学率がさらに上昇したが、企業の「正社員雇用」の枠は変わらず、人口の多い「団塊ジュニア世代」の新卒採用の時期は、深刻な就職難が起こった。

「日本型雇用」の改革はたびたび叫ばれてきたが、現在まで「変わっていない」というのが現状だ。

日本型雇用のシステムは、労働争議などを経て、労働者と経営者の双方の合意によって形作られたものであり、問題点がありながらも、一定の合理性と強みがある。また、教育や社会保障とも連動することで、より強固な慣行となっていった。そのため、欧米などの仕組みを部分的に取り入れようとしても、労働者と経営者の両方の合意が得られず、雇用改革は実現してこなかった。

 

まとめ

「日本型雇用」は、欧米の雇用システムとは異なるやり方で発展を遂げた。

日本には、近代化を急速に進めなければならないという事情があった。それにより、「官」の職務内容や権限が明確に規定されず、その働き方が「民」にも波及し、「職務にこだわらない働き方」が定着していった。

企業を横断する基準」が定着しなかった日本では、「職務の権利」という意識が希薄だったので、戦後の民主化においては、労働者が企業に対して「社員の平等」を求めるという形の労働運動が起こった。

「社員の平等」は、

  • 職務が限定されないので環境の変化に対応しやすく、失業が生じにくい
  • 現場労働者レベルの仕事から、上級職員レベルの仕事へとキャリアアップできる可能性がある
  • 入り口で待遇が固定化されないので、労働者のモチベーションが保たれやすい

などの強みがある一方、

  • 最初に入った企業をやめると不利になりやすい
  • 現場労働者レベルの仕事でも過剰労働を招きやすい
  • 博士持ちなどの専門性の高い人材や、女性が不利になりやすい

などのデメリットもある。

独自の展開を遂げた「日本型雇用」は、問題点がありながらも、一定の合理性があるシステムであり、メリットと言える部分とデメリットと言える部分は両面になっている。

いちど定着した雇用慣行は、教育や社会福祉などとも連動し、より強固なものになっていった。

「大卒を新卒一括採用する」という雇用慣行は、欧米のような「求められる学位の上昇」を起こさない代わりに、「偏差値」による序列化と受験競争の激化を招いた。「どのような専門性を身につけたか?」よりも「難関大学に合格するポテンシャル」を評価する慣行が定着した。

また、「年功制」が権利である以上、「企業は一度雇った社員を辞めさせにくい」という慣行を前提に社会福祉制度などの法律が整備されていった。

日本の雇用システムは、教育や福祉とも連動して社会に根付いているがゆえに、欧米などの制度を部分的に取り入れることには成功しなかった。何度も改革が叫ばれながらも、「変わらず維持されてきた」のが「日本型雇用」の特徴なのだ。

一度定着した「しくみ」は社会に強く根を張る。とはいえ、「日本型雇用」の場合は、必ずしも長い歴史や伝統に裏打ちされたものではなく、近代化が始まった時点の事情によって形成されたものであり、絶対的なものとも言えない。

日本の「社員の平等」であれ、欧米の「職務の平等」であれ、20世紀の諸運動が達成してきた結果は、産業構造の変化とグローバル化によって限界を迎えつつある。「社会のしくみ」を変えるのは簡単ではないが、変えられないわけではない。現在の「日本型雇用」が作られていった過程と同じように、労働者と経営者の双方に合意を得られる形であれば、「社会のしくみ」はこれからも変わっていく。

 

本書は、正確な現状認識を目的としたもので、今後の社会をどうやって変えていくのかに関しては論じようとしていない。だが、これからの問題を解決していこうとするうえで、本書で書かれている内容は、間違いなく踏まえておくべきものだ。

今回は図解つきで手短にまとめたが、日本社会の問題について正確な把握をしておきたいと考えるのであれば、ぜひとも実際に本書を読んでもらいたい。新書なので価格も安く、学術性を重視した内容ではあるが、比較的読みやすい。

 

なお、当サイトでは、章ごとにより詳しく「要約と解説」をまとめている。

実際に本書を読んだあと、振り返りや論点の整理などに利用してもらいたい。

小熊英二『日本社会のしくみ』第1章の要約と解説【日本社会の「三つの生き方」】 小熊英二『日本社会のしくみ』第2章の要約と解説【日本の働き方、世界の働き方】 小熊英二『日本社会のしくみ』第3章の要約と解説【歴史のはたらき】 小熊英二『日本社会のしくみ』第4章の要約と解説【「日本型雇用」の起源】 小熊英二『日本社会のしくみ』第5章の要約と解説【慣行の形成】 小熊英二『日本社会のしくみ』第6章の要約と解説【民主化と「社員の平等」】 小熊英二『日本社会のしくみ』第7章の要約と解説【高度経済成長と「学歴」】 小熊英二『日本社会のしくみ』第8章の要約と解説【「一億総中流」から「新たな二重構」へ】 小熊英二『日本社会のしくみ』終章の要約と解説【「社会のしくみ」と「正義」のありか】

 

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