水町勇一郎『労働法入門』の「要約と解説」をしていく。
初版は2011年の書籍だが、2019年に『労働法入門 新版』が出て、2018年の「働き方改革関連法」などへの言及も含まれている。ここでは『新版』のほうの要約&解説を試みる。
「労働法」は、日本社会で働くすべての人にとって重要なものだ。
とはいえ、一般の人にとって法律のテキストは難解でハードルが高い。
本書は、「労働法」の経緯、特色、考え方を、誰もが理解できるようにわかりやすく解説した岩波新書である。
日本企業、日本社会で働く社会人であれば、踏まえておいて損はない内容となっている。
はじめに―働くことと法
労働をめぐる法である労働法は、人々の労働観、その背景にある宗教観や社会観などと密接にかかわりあいながら存在している。またそれは、その国の経済や社会のあり方に影響を及ぼすものでもある。
と著者は述べる。
「労働法」が最初に生まれたのはヨーロッパだが、そこで主流だった「キリスト教(カトリック)」の考え方では、労働は「苦しみ」と捉えられる傾向が強い。
一方で、ルターによる宗教改革によって広まった「プロテスタント」の考え方は、労働を「神から命じれられている行い」として、肯定的に捉えようとする。
「カトリック」の影響力の強いフランスの労働法や判例では、「働くことから開放される時間や余暇」を重視する傾向が見られる。
「プロテスタント」の影響力の強いドイツでは、労働者が社会(使用者)に、「働くことを要求する権利」を重視する傾向がある。
このように、労働法は、その社会の考え方を反映する。
日本は、ヨーロッパやアメリカなど外来のものを取り入れながら労働法を整備していったが、その過程で、そのままそっくり導入したわけではなく、日本の文化や精神が色濃く反映された労働法になっていった。
本書では、欧米の労働法との比較なども交えながら、日本の労働法の特徴が解説される。
第1章 労働法はどのようにして生まれたか―労働法と歴史
「労働法」は19世紀から
人間ははるか昔から働いていたが、現在の「労働法」は19世紀に生まれた。
それ以前は、今日の「労働法」の前提となる「労働」という概念が普及していなかった。
様々な「働き」や「仕事」が、「労働」という一つの概念で包括的に捉えられるようになったのが18世紀の後半で、統一された「労働」という概念のもと、国家が社会的な保護を与える「労働法」が生まれたのは、19世紀になってからだった。
「自由な個人」が「労働契約」をすると、搾取されてしまう
18世紀後半から19世紀は、
- 封建社会から脱したことによる「個人の自由」
- 産業革命による「工業化社会」
という動きが進んでいった時代だった。
しかし、「個人の自由」と「工業化社会」の組み合わせは、「劣悪な労働」という問題を生み出した。
労働法が確立されていない工業社会の初期において、多くの人々が過酷な労働に追いやられていた。
「工業化社会」において、「自由な個人」が「労働契約」のもとに労働するからこそ、個人が劣悪な待遇で働き続けなければならないということが起こっていたのだ。
このような事態を招いた背景には、「労働」を「契約(自由な取引)」に委ねようとするという考え方がある。「自由な個人」が「契約」するからこそ、搾取されてしまう。
「自由な個人」の「労働契約」を修正するための「集団」法としての「労働法」
やがて、「労働」には、物の売買などの契約とは異なり、「個人の自由」に委ねておけない特徴があるという考え方が出てくる。
- 「人間的性格」……労働契約は働く人間そのものを取引の対象とする
- 「経済的格差」……労働者は、会社(使用者)に比べ、経済的に弱い立場に立たされていることが多い
- 「自由の欠如」……労働者は働くときに自由を奪われていることが多い
という理由から、「労働契約」を個人の自由に委ねておくと、労働者が使用者に搾取される状況になりやすい。
そのような状況に対応するために誕生したのが「労働法」だった。
労働法は、「個人の自由な契約」を修正するために、法の世界に「集団」の次元を組み込んだ。
- 「集団的保護」……労働時間規制、社会保険制度など、労働者に一律に与えられる
- 「集団的自由」……団体交渉やストライキなど、団体行動をとることを認める
「労働法」は、労働者たちが「集団的」であることの正当性を認めるという形で、搾取に対処しようとした。
「個人の自由」のもとで実質的に自由を奪われていた労働者を「集団」にすることで、使用者側が圧倒的に有利だった労使の力関係の差を是正しようとしたのだ。
そのため、19世紀中盤から後半にかけて、ヨーロッパを中心に誕生した「労働法」の原型は、「集団的保護」と「集団的自由」を2本の柱とする、「集団」法だった。
「均質な労働者」モデルによる「黄金の循環」と、その反転
「集団」法としての「労働法」は、「工場で集団的・従属的に働く均質な労働者」を、一つの標準的な労働者像として描き出していた。
このような「均質な労働者」に対して、国家が「集団的・画一的な福祉」を与えることが、20世紀の労働者と社会の基本的なあり方だった。
「均質な労働者」のモデルは、「黄金の循環」と呼ばれた、成長のサイクルを生んだ。
「黄金の循環」とは、労働者の権利の充実が経済成長をもたらし、それがさらなる労働者の保障に繋がり、それが経済成長をもたらすというサイクルだ。
このようなサイクルにより、20世紀には「大きな経済発展」と「労働者の権利」の両方がもたらされた。
しかし、1973年のオイルショックによって、経済がマイナス成長の時代に突入すると、かつての「黄金の循環」が「反転」する。
確立された「労働者の権利」は、低成長に苦しむ企業にとっては大きな負担となり、その負担がさらなる経済悪化を招き、経済悪化の際に義務としてのしかかる「労働者保護」が、さらなる経済悪化を招くという、「マイナスのサイクル」が起こったのだ。
「均質な労働者」から「多様な労働者」へ
経済の低成長により、従来の「集団的保護」が企業の負担として重くのしかかるようになったのに加えて、20世紀の後半からは、「産業構造の変化」によって、労働法の前提とされていた「均質な労働者」という概念が現実に当てはまりにくくなっていった。
「大量生産」時代の「均質な労働者」から、「多様化・個別化」時代の「多様な労働者」という形で社会が変化していく。
働き方が多様化し、社会が変化していくなかで、「労働法」が前提としていた「均質な労働者」が融解していったのが、20世紀後半に起こったことだった。
「集団」法として誕生した「労働法」は、根底から変容を迫られることになったのである。
旧来の労働法が機能不全に陥っていくなかで、1980年代以降は、労働法のあり方に修正を加える改革が進められた。
主な方向性として
- 「労働法の柔軟化」……労使による話し合いによって具体的な規制のあり方を定めることを許容・促進する
- 「労働法の個別化」……労働者という「集団」ではなく、それぞれの労働者たちという「個人」の視点から保護・規制を図る
- 「労働市場の自由化」……労働市場の規制を緩和し、有料職業紹介事業や労働者派遣事業など、民間事業による労働市場機能の活性化を図る
などが行われた。
「集団」のものだった「労働法」が、「個人」の方向に寄っていったのが、80年代からの変化だったのだ。
21世紀になり、労働法をめぐる状況は混迷を深めている。
と著者は述べる。
ポスト工業化、情報化、グローバル化など、ものすごい勢いで変化していく社会において、18、19世紀の前提のもとに整備されてきた労働法の適用が難しい場面が増えているのが実情であり、様々な問題に適切に対処していくことが求められている。
第2章 労働法はどのような枠組みからなっているか
「契約」と「法律」が「法源」になる
「法」を定めるとき、「どのような内容のルールにするのか」と同時に、「決めたルールをどのようにして守らせるか」が重要なポイントとなる。
ルールを守らせるための最後の砦は「国家権力」であり、「法」は、最終的には国家の力を借りて実現されるという性格を持っている。
ある人が、国家権力によって救済を求めることができるかどうかのポイントとなるのが「権利」であり、その反対に、支払いを強制されるのが「義務」である。
「法」は、「権利」と「義務」を定めた体系であるということができる。
法が権利と義務の体系であるとして、その根拠になるものを「法源」という。
たとえば、国王や領主の命令に従わなければならない「封建社会」では、国王や領主であることが「法源」だった。
近代社会においては、当事者間における「契約」と、国民主義国家が定めた「法律」によって、人々の間に「権利と義務」が生じることになっている。
近代的な法体系のもとでは、人は「契約」と「法律」に基づいてのみ他人(国家)から強制を受ける。
- 「契約」……同意によって成り立つ
- 「法律」……明文化されたルール
なお、「契約」は、できるかぎり書面によって内容を確認できることが望ましいが、口頭の約束や、言葉で明確に表せられない暗黙の合意でも、実態を鑑みて「契約」が成立していると見なされることもある。
「労働契約」においても、必ずしも書面を取り交わしていなくても、労働をしているという実態や暗黙の合意があれば、契約が成立していると見なされることがある。
しかし、いくら当事者同士の合意による「契約」でも、「法律」で禁止されている場合はそれが無効になる。
労働法関連の「法律」は、当事者同士の「契約」に制限を加えようとするものがいくつもある。
「労働協約」と「就業規則」
「契約」と「法律」という法源のうち、「労働法」においては、「法律」の果たす役割が相対的に大きい。
「労働法」は、当事者間の自由意思に基づく「契約」を、「法律(統一ルール)」によって制限しようとする意図がある。
第1章で、
- 「人間的性格」
- 「経済的性格」
- 「自由の欠如」
という「労働契約」に内在する問題をしてきた。
労働者と使用者が「自由な契約」をすれば、やがて労働者が搾取されるようになっていく。それを制限しようとして整備されたのが「労働法」であり、「法律」によって「契約」を縛る形になっている。
ただ、日本の労働法においては、「契約」と「法律」の2つの法源に加えて、「労働協約」と「就業規則」が法源になり得るものとされている。
- 「労働協約」……労働組合と会社との間で締結される労働条件などに関する合意・協定
- 「就業規則」……労働条件や職場規律など、会社が定める職場におけるルール
日本の労働法において、「労働協約」と「就業規則」が、「法源」として極めて重要な役割を果たしている。
とはいえ、会社の裁量で定めることのできる「就業規則」に、どの程度の効力を認めるべきなのだろうか。この点は、従来から議論されてきた。
日本の最高裁は、「就業規則」も、内容が合理的である限りにおいて「労働契約の内容として拘束力をもつ」という判例を出してきた。
その法理を、のちに「労働契約法」が明文化し、「使用者は労働者との合意なく就業規則変更により労働条件を不利益に変更することはできない(労働契約法第九条)。ただし、変更を労働者に周知させ、その内容が合理的な場合には、変更後の就業規則が労働契約の内容となる(労働契約法第十条)」と定めている。
労働者に不利な「就業規則」を会社が一方的に定めるのは許されないが、内容が合理的である限りにおいて、「就業規則」も十分に法源であると見なされる。
「労働法」における「法源」
以上まで述べてきたように、「労働法の法源」となるのは、法源としての根拠の強い順に、
- 法律(強行法規)
- 労働協約
- 就業規則
- 労働契約
の4つになる。
「①法律」は、「当事者間の合意の如何を問わずに適用される規定」という意味で、「強行法規」とも呼ばれ、万人が守るべき明文化されたルールとなる。
「④労働契約」のような、当事者同士の契約も「法源」になりうるが、正当性を争う場合には①〜③が優先され、「法律」に反した「契約」は無効になる。
「①法律」と「④労働契約」との間に、会社と組合の集団的な取り決めである「②労働協約」と、会社の取り決めである「③就業規則」がある。
どの「法源」を重視するか、国ごとの特色
なお、4つの法源があるうち、国ごとに重視する部分が異なるようだ。
例えば、アメリカでは、個別の交渉による「④労働契約」が、相対的に重視される傾向がある。
フランスやドイツでは、団体交渉によって締結される「②労働協約」が、相対的に重要な役割を果たす。
日本では、会社が定める「③就業規則」が、相対的に重視される傾向があるようだ。
- 「②労働協約」を重視(組合の影響が強い)……EU諸国
- 「③就業規則」を重視(会社の影響が強い)……日本
- 「④労働契約」を重視(個人契約の影響が強い)……アメリカ
「日本型雇用」は、「会社」という枠組みを重視する。労働法もそれを反映し、「③就業規則」という「会社」単位での継続性と柔軟性を維持しやすい法源を相対的に重く見てきた。
「日本型雇用」の経緯と特徴について、詳しくは、
- 濱口桂一郎『若者と労働』
- 小熊英二『日本社会のしくみ』
などの書籍に書かれているので、気になったのであればこちらの「要約と解説」も読んでみてほしい。



第3章 採用、人事、解雇は会社の自由なのか
「解雇」のしやすさは国ごとに異なる
労働者の「解雇」について、国ごとの実情が大きく異なる。日本の場合、他国と比較して、労働者を解雇することに大きな制限が課されている。
アメリカでは、「随時雇用原則」に基づき、「差別禁止法」などの法令に違反しない限り、労働者をいつでも理由なく解雇できるという原則がとられている。
ヨーロッパ諸国は、アメリカほど自由ではなく、解雇に制限があり、フランスの場合は「現実かつ重大な理由」、ドイツでは「社会的に正当な理由」であることが求められる。
だが、ヨーロッパ諸国の場合でも、「経営上の理由による解雇」については、基本的に会社の判断を尊重するのが原則となっている。
一方で、日本の場合、解雇に対してはかなり厳しく、「経営上の理由による解雇(解雇整理)」であっても、裁判所が会社の経営判断に踏み込んで、解雇が妥当かどうかを審議することがある。
日本は、他国と比較して、使用者が労働者を解雇するのが非常に難しい法制度と言える。
判例法理としての「解雇権濫用法理」
日本の「民法」上では、2週間前に告知をすればいつでも労働者を解雇できるようになっている。実際、戦後間もない1940年代後半では、解雇はかなり広く行われていた。
だが、1950年前後から、地方裁判所レベルの判例のなかに、「解雇が与える労働者の生活への深刻な影響を考慮して、解雇に正当な理由を要求するもの」が見られはじめた。
「日本型雇用」は、「所属企業に忠義を尽くす働き方をする代わりに、勤続年数に比例して給料が上がっていく」慣行になっている。
長期雇用の慣行が定着している以上、「企業が簡単に労働者を解雇できる」のであれば、「日本型雇用」のトレードオフが成り立たなくなる。そのような実態を考慮し、裁判所の「判例」では、企業の解雇が制限されてきた。
60年代後半以降は、正当な理由がない解雇を「権利の濫用(民法一条三項)」として無効にする法理が、地方裁判所や高等裁判所のなかで定着するようになっていく。
70年代には、最高裁判所が、「食塩製造事件判決(最高裁1975年4月25日判決)」において「解雇権濫用法理」を定式化した。
最高裁は、「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になる」と述べ、「判例法理」としての「解雇権濫用法理」が確立された。
「解雇権濫用法理」は、正社員の長期雇用が当然とされる社会状況を見て、裁判所が発展させていった法理であり、日本の労働法において非常に重要な役割を果たしてきた。(2003年の労働基準法改正の際には、法律上明文化された。)
日本で労働者を解雇するには
「解雇権濫用法理」では、労働者を解雇するとき、「社会通念上相当」のものとして認められる必要がある。
解雇の合理的な理由として
a、労働者の能力や適格性が低下したこと
b、労働者が職場の規律を乱す悪い行為をしたこと
c、経営上の必要性
の3つのタイプがある。
この判定は、「社会通念上相当」として認められる必要があり、この点について、裁判所は、労働者側に有利な事情を考慮に入れてきた。
本書では、いくつかの事例が紹介されている。
「高知放送事件・最高裁1977年1月31日判決」
朝六事のラジオニュースを担当していたアナウンサーが、二週間に二度寝過ごして放送事故を起こした。しかも二度目の事故については当初上司に報告せず、その後事実と異なる報告書を提出した。この労働者の規律違反行為(b)を理由としてなされた解雇について、最高裁判所は、この労働者のみを責めるのは酷である、普段の勤務成績は悪くない、二度目の事故についても謝罪の意を表明しているなどの事情を勘案し、解雇に処することは必ずしも社会的に相当なものとして是認することはできないとして、解雇を無効とした。
「東京エムケイ事件・東京地裁2008年9月30日判決」
タクシー運転手として勤務することを予定して入社した労働者が、視力低下のため二種免許を喪失し、タクシー運転手として勤務することができなくなった。この能力低下(a)を理由としてなされた解雇について、東京地方裁判所は、会社がタクシー運転手以外の仕事をこの労働者に提供することは困難ではないことから、資格喪失のみをもって解雇することはできないと判断した。
「山田紡績事件・名古屋高裁2006年1月17日判決」
経営悪化した会社が、再生手続き開始を申し立てた後、同社の紡績部門を閉鎖することとして同部門で働いていた労働者105名を解雇した。これに対し、名古屋高等裁判所は、紡績部門を継続したら将来破綻に陥ることが避けられないという事情は主張立証されておらず、解雇の回避につとめていたともいえず、解雇前の労働組合への説明も不十分であったことなどから、解雇権の濫用として無効であると判断した。
以上のような判決の事例を見る限り、「社会通念上相当」と認められる解雇の相当性が厳しいことがわかる。
また、解雇が「権利の濫用」として無効になった場合、労働契約上の権利はそのまま存続するものとして取り扱われ、違法な解雇によって働けなかったことについても、その責任は使用者側にあるとして、その期間中の賃金の支払いが命じられることが一般的である。
- 裁判所が個別の事案のなかで解雇の社会的相当性をかなり厳しく求めている
- 解雇が権利濫用とされた場合の法的救済の内容が、解雇無効と賃金支払いという重いものとされている
という点に、日本の「解雇権濫用法理」の特徴がある。
日本では、正社員として雇用した労働者を簡単に解雇できない、というのが「判例法理」から見て取れる。
ただ、経営上の理由からなされる「整理解雇」の場合においては、「整理解雇法理」という特別の法理が形成されていて、
- 人員削減の必要性
- 解雇回避の努力
- 人選の合理性
- 手続の妥当性
という4つの要件から、解雇の合理性・相当性が判断される。
経済学者やマスコミなどの間では、「整理解雇」の四要件は極めて厳格であり、解雇をほとんど不可能にしている、と言われることもある。
しかし実際には、四要件のすべてを満たす必要が必ずしもあるわけではないという。実際の裁判例を見ると、日本の「解雇権濫用法理」は言われているほど厳格で硬直的ではなく、「それぞれの事案の状況に応じて、解雇の合理性・相当性が比較的柔軟に判断されているといえる」と著者は述べている。
日本では、労働者の解雇が難しいが、企業の経営が傾いたときの「整理解雇」の場合においては、言われているほどには解雇の条件は厳しくない。
辞職、合意解約
労働者が会社を辞めるとき
- 「解雇」……使用者の一方的な意思表示によって労働契約を終了すること
- 「辞職」……労働者の一方的な意思表示によって労働契約を終了すること
- 「合意解約」……使用者と労働者が合意して労働契約を解約すること
がある。
押さえておくべきポイントとして、「辞職」は、2週間前に申し入れればいつでも会社を辞めることができる(民法六二七条一項)。
「辞職」の自由は、労働者に保障された重要な人権(憲法十三条、二二条等)であり、「代わりの人を連れてこないと辞めさせない」や「辞めるんだったら賠償金を払ってもらう」などといって労働者を引き留めようとすることは違法になる。
なお、「合意解約」の場合は、二週間の予告期間を置くことも必要なく、両当事者の合意によりいつでも労働契約を終了させることができる。
先の「解雇権濫用法理」で述べたように、労働者側からの「辞職」が簡単なのに対して、使用者側からの「解雇」は非常に条件が厳しい。
そのため、現実的には、労働者に様々な形で圧力をかけて「辞職」や「合意解約」に追い込もうとする例が後を絶たない。そのような場合において、
- そもそも辞職や合意解約という労働者の意思は真意に基づいたものであったのか
- 退職を求める過程で労働者の人格を損なうような行き過ぎた言動が会社側になかったか
といった点が、法的に問題になり得る。
採用
日本では、「解雇権濫用法理」により、社員の「解雇」に大きな制限が加えられてきた。その一方で、「幅広い採択の自由」が使用者に認められている。
つまり、一度採用したら辞めさせにくい代わりに、「どのような人をどのような基準で雇うかを決める自由」が認められているのだ。
アメリカやEU諸国では、「採用」の段階で雇用差別が厳密に禁止されているのに対して、日本の「採用」は比較的それがゆるい。
性別や年齢などのあからさまな差別は禁止されているものの、他国の基準と比べて、使用者の採用の自由が広く認められているのが実情だ。
日本においても、「労働基準法では、「労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない(三条)」とあるが、最高裁判所の判例では、「思想・信条を理由とした採用拒否も当然に違法であるとはいえない(三菱樹脂事件・最高裁1973年11月12日判決)」というものさえある。
「日本型雇用」と言われる長期雇用慣行において、
- 採用すると簡単には辞めさせられない「解雇の不自由」
- 人物・性格などを吟味して社員を選ぶ「採用の自由」
のトレードオフが、裁判所の判例法理によって形作られてきた。
なお、日本においては、「採用内定通知」の時点で、労働契約が成立したとされる判例(大日本印刷事件・最高裁1979年7月20日判決)があり、「内定」を出した時点でほとんど契約が成立しているという扱いになる。
そのため、「内定取り消し」には、「解雇」と同様に「社会通念上相当」といえる理由が必要になる。
人事
日本企業の大きな特徴として、「人権件の強さ」が指摘される。
日本では、昇進・昇格・配転・出向・懲戒処分など、人事上のさまざまな措置において、会社側の裁量が広く認められている。
欧米では、契約上、大幅な人事配置などが難しい場合が多いが、日本では、「配転(転勤)」や「出向」など、非常に柔軟性のある人事配置がされていて、それが「日本型雇用」の働き方の特徴でもある。
この「人事権の法的根拠」については、2つの説がある。
- 「固有権説」……企業経営をしていく以上、使用者は当然人事権をもっているとする
- 「契約説」……人事権も契約に根拠づけられてはじめて認められるとする
これについて、著者は「契約説」のほうが妥当であろうと述べている。以下に著者の考えの部分を引用する。
固有権説のさらなる根拠、すなわち、なぜ会社は人事権を固有の権限としてもつのかという点を突き詰めて考えると、会社にはそもそも経営の自由(憲法二二条参照)が認められており、そこから経営権やその一環としての人事権などが発生するという説明が考えられうる。
しかし、他人から拘束を受けないという意味の憲法上の自由と、他人を拘束する権限をもつという私法上の権利義務とは理論的に直結するものではなく、この点で、固有権説は理論的根拠が薄弱といえそうである。
経営権や人事権といっても、他人である労働者を拘束する権利として位置づけられるものについては、やはり契約上の根拠、つまり、労働協約、就業規則または労働契約上の根拠(明示・黙示の合意、信義則に基づく契約解釈など)があってはじめて認められると解釈すべきであろう。
日本の慣行では、「人事」における幅広い裁量が与えれていることを特徴とする。
一方で、「労働法」上、「人事権」は、
「契約上の根拠」の存在
- 労働協約
- 就業規則
- 労働契約
「強行法規違反」の不存在
- 権利濫用にあたらないか
- 法律上禁止された差別にあたらないか
- その他命令に違反しないか
の2つの観点から制約が加えられることになる。
何らかの人事上の措置をするとき、措置の前には「契約上の根拠の存在」が必要で、措置の後には「強行法規違反の不存在(法律や判例法理に違反していないか?)」が必要になる。
「日本型雇用」では、使用側の人事上の措置に大きな裁量がある慣行になっている。それでも、日本の「労働法」は、労働者に著しく不利な人事措置ができないような法的規制の枠組みをしっかり持っている。
昇進・昇格・降格
「昇進」や「昇格」、いわゆる「出世」について、原則として、労働者は、使用者の決定がなければ「昇進・昇格」を求めることはできないとされている。
しかし、
- 就業規則の定めや労使慣行などを通じて昇進・昇格することが契約の内容となっていると認められる場合には、昇進・昇格した地位にあることの確認を求めることができる
- 昇進・昇格決定の基礎になった人事考課(査定)が法律上禁止された差別や権利濫用などにあたり違法と評価される場合には、損害賠償を求めることができる
となっている。
つまり、就業規則や労使慣行、あるいはこれまでの働き方の実態として、「これくらいの年齢にはこれくらい昇進しているもの」というものがあれば、労働者側から「昇進・昇格」に働きかけることができる。
「昇進・昇格」も、完全に人事の裁量の範囲内ではなく、就業規則や労使慣行などから大きく外れた措置をとることが許されるわけではない。
また、「降格」については、「労働者の同意や就業規則上の合理的規定など契約上の根拠が必要」になり、「人事」措置として、上で述べたように、「契約上の根拠」の存在と「強行法規違反」の不存在を検討されることになる。
配転、出向、転籍
「日本型雇用」の慣行では、定期的に従業員の「配転(配置転換)」を行う会社がある。
「配転」のうち、引越しを伴うものは「転勤」とも呼ばれる。
また、「出向(在籍出向)」と呼ばれる、出向元企業に従業員としての地位(籍)を残しながら出向先企業で働くことや、籍そのものを移す「転籍」も行われている。
- 「配転」……働く場所を変えること。引越しを伴うものは「転勤」と呼ばれる
- 「出向」……出向元企業に従業員としての地位(籍)を残しながら、出向先企業で働く
- 「転籍」……移籍元企業との労働契約関係を終了させ、移籍先企業と新たな労働契約関係に入る
これらの、いずれの「人事」措置も、上で述べた、「契約上の根拠」の存在、「強行法規違反」の不存在が必要になる。
過去には、正当性に欠ける「配転」の命令を、「権利の濫用」にあたるとされた判例がある。
- 長時間の新幹線通勤や単身赴任という負担を負わせてまで配転しなければならないほどの業務上の必要性は認められない事案(NTT西日本[大阪・名古屋配転]事件・大阪高裁2009年1月15日判決)
- いやがらせや退職へ追い込む意図で配転がなされた事案(新和産業事件・大阪高裁2013年4月25日判決)
- 配転すると病気の家族を介護できなくなる事案(NTT東日本[北海道・配転]事件・札幌高裁2009年3月26日判決など)
多くの日本企業において、「配転」は慣行として当然に行われるものとされているが、合理性に欠け、労働者の不利益となるものは、「権利の濫用」となる判例がいくつも出ている。
なお、「出向・転籍」をめぐる最大の問題は、労働者の個別の同意なしに「出向・転籍」を命じることができるかという点にある。
「出向」に関しては、最高裁の判例では、出向に伴う不利益への配慮が十分になされている場合には、「出向」と「配転」を実質的に同じものとみて、使用者は労働者の個別の同意なしに出向を命じることができるとした(新日本製鐵[日鐵運輸第2]事件・最高裁2003年4月18日判決)。
「転籍」については、「前の労働契約が解約され新たな労働契約が締結されるものである以上、労働者本人の個別の同意が必要であり、使用者は一方的に転籍を命じることはできない」と解されている。
- 「転勤」や「出向」は、「労働者の個別の同意」を必ずしも必要としない
- 「転籍」は、「労働者の個別の同意」を必要とする
- 「転勤」や「出向」においても、正当性に欠けた場合は「権利の濫用」となる判例がある
- いずれの人事措置も、「契約上の根拠」の存在、「強行法規違反」の不存在が必要になる
懲戒処分
企業は、「就業規則」に「服務規律」を定めることができ、従業員がこれに反したときに制裁罰として科すのが「懲戒処分」だ。
懲戒処分の例としては、軽いものから順に
- けん責
- 戒告
- 減給
- 出勤停止
- 降格
- 論旨解雇
- 懲戒解雇
などがある。
懲戒処分を法的に有効に行うためには、「就業規則において懲戒の種類および事由(経歴詐称、業務命令違反など懲戒を科す理由)」をあらかじめ定めておくことが必要である(フジ興産事件・最高裁2003年10月10日判決)。
懲戒処分は刑罰と類似した性格をもつため、刑罰に関する罪刑法定主義という法原則にならって
- 処分にあたって適切な手続を踏むこと(特に本人に対して懲戒事由を告知して弁明の機会を与えること)
- 同じ事由について繰り返し懲戒処分を行わないこと(一事不再理の原則)
- 新たに設けた懲戒規定をそれより前の事案に適用しないこと(遡及的制裁の禁止)
が求められる。
日本の「人事」の特徴と問題点
著者は、「人事」における日本の特徴として
- 企業の人事権の影響力の大きさ
- 実は、人事権の行使に対して法的な制約がちゃんとあること
- 判例法理などが労働者や会社(特に中小企業)にきちんと認識されておらず、裁判所などの法的な紛争解決機関があまり利用されていないこと
を挙げている。
日本は企業は、人事権が強いからこそ、組織に柔軟性と継続性が生まれ、「日本型雇用」と言われるような、長期雇用の働き方が成り立っている。
とはいえ、実は、人事権の行使に対しては、「契約上の根拠」があるか、や「権利の濫用」にあたらないか、といった「判例法理」の発展が見られ、裁判所が企業の人事権の行使を無効・違法としてきた様々な判例がある。
実態として、日本企業はたしかに「強い人事権」を持っているのだが、裁判所の判例を見る限りは、言われているほど強いわけではない。労働者にとって不利益の大きな人事措置を、違法としてきた判例は数多くあるのだ。
しかし、労働者や経営者はそのような判例法理があることをあまり認識していない。そのため、大学などで学ぶテキスト上の「労働法」と、実際の「現場」にはギャップがあり、それこそが「日本の労働法の最大の問題といえるのかもしれない」と著者は述べている。
以上までが、水町勇一郎『労働法入門』の「要約と解説」の【1/3】になる。
続きの【2/3】、【3/3】は以下。


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