現在も、多くの日本企業が、「新卒一括採用」と「年功序列」という、「日本型雇用」のシステムの上で働いている。
だが、「日本型雇用」が限界を迎えているというのも、多くの働く日本人が感じているところだろう。
日本型雇用については、1973年のオイルショックから、多くの人がその問題点を認識し始め、バブル崩壊後の90年代からは、「もう崩壊する」「変えていくべき制度」という意見が多くなってきた。
しかしながら、「終わっている」と言われ始めた90年代からすでに30年も経っているのに、なんだかんだで「日本型雇用」は続いている。
この記事では
- 日本型雇用にはどういう強みがあるのか?
- なぜ年功序列といった慣行が形成されたのか?
- 年功序列はネズミ講なのか?
- 無理だとされている日本型雇用が今まで続いている理由
- 日本型雇用の未来に可能性はあるか?
について述べていく。
興味のある方は読んでいってほしい。
「日本型雇用」は、人材の流動性が低く、職種の流動性が高い
日本型雇用は、まったくもって不合理なわけではなく、メリットとデメリットの両面を併せ持つ仕組みだ。
「欧米の働き方」と比べて、独自の強みを持っている。
日本型雇用の特徴は「人材の流動性が低く、職種の流動性が高い(会社を変えにくく、職務内容が変わりやすい)」ことだ。
日本型雇用は、「終身雇用」と言われるように、長期間に渡って社員を雇い続けることが前提なので、「人材の流動性が低い」。だがその代わり、欧米と比べて「職種の流動性が高い」。
日本型雇用は、社員の長期雇用を前提として、「OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)」で様々な部署を経験させる育成システムが充実している。
「企業がずっと会社に所属し続ける」のが前提だからこそ、長期的な視野で社員を育成することが可能であり、また、職務内容を限定して契約しているわけではないので、「職種」にこだわらない柔軟な人員配置が可能になる。
このような日本型雇用と対比して、「人材の流動性が低く、職種の流動性が高い(会社を変えやすく、職務内容が変わりにくい)」のが欧米の働き方の特徴だ。
欧米は、「終身雇用」ではなく、「職務契約」を重視して労働者を雇用する。長期の雇用が保障されているわけではなく、「人材の流動性が高い」。日本ほど「会社」に依存するような働き方にはならない。
一方で、採用時には専門の資格や経歴が求められるので、労働者がキャリアチェンジをするのは容易ではない。企業側からして、職務内容を限定して契約するので、企業は最初に契約した仕事と別の仕事を労働者にさせることが難しい。
日本では「企業に命じられた仕事をこなす」のが当たり前の感覚だが、欧米は、「契約に基づいて職務をこなす」という感覚であり、日本よりもずっと「職種の流動性が低い」社会なのである。
- 日本は、「人材の流動性が低く、職種の流動性が高い」
- 欧米は、「人材の流動性が高く、職種の流動性が低い」
として、
- 日本の働き方の強みは「柔軟性」
- 欧米の働き方の強みは「専門性」
となる。
日本型雇用は、人材を流動的に必要な場所に配置する「柔軟性」を強みとしている。一方で、「新卒一括採用」や「年功序列」の枠組みの中では、企業の外で高い「専門性」を身につけた人材をうまく扱うことができない。
逆に欧米は、契約を重視するので「柔軟性」に欠けるが、人材が流動的なので「専門性」を活かしやすい雇用システムになっている。
この日本と欧米の働き方の対比については、


などの記事に詳しく書いているので、以上で述べてきた内容をより深く知りたい人は上の記事をチェックしてほしい。
なぜ「年功序列賃金」なのか?
日本型雇用が、「人材の流動性が低く、職種の流動性が高い」やり方であるとして、では、勤続年数に応じて給料が上がっていくという「年功序列賃金」は、どういう理屈なのか。
「年功序列賃金」については、
- 中高年は家族を養えるだけの給料をもらうべきという「生活給」の発想
- 労働者の忠誠心に報いて、企業は給料を上げていくという「御恩と奉公」の発想
- 勤続年数と給料が比例することで、社員を辞めにくくする企業側の意図
- 長く働いて様々な経験を積むほど有用な人材になるだろうという能力評価の考え方
など、複合的な要素が組み合わさったものだろうと考えられる。
ただ、「年功序列」が権利として確立された直接的な要因は、日本の労働組合がそれを要求したからだ。
この経緯については、小熊英二『日本社会のしくみ』、特に本書第6章などに詳しい。


労働者の権利は、使用者側と労働者側の交渉と協議によって形作られていく。
そのような中で、「同じ会社での勤続年数によって給料が上がっていく」というのは、労働者と使用者の双方が納得できる落とし所だった。
- 労働者側は、会社を辞めずに働き続けるだけで給料が上がっていく
- 使用者側は、労働者がすぐに辞めずに長く働いてくれる
という形で、双方に利点があった。
また、日本の裁判所は、このような実情を見て、企業が労働者を解雇する条件を厳しくする判例法理を確立してきた。欧米のように労働者の解雇要件が緩ければ、「辞めにくい、辞めさせにくい」という日本型雇用のトレードオフが成り立たなくなるからだ。
「労働者が辞めにくい/企業が辞めさせにくい」からこそ、「長期雇用を前提に、社員に様々な仕事を経験させて育成するシステム」が成り立つ。
こうして日本では、「人材の流動性が低く、職種の流動性が高い」という、欧米社会とは異なったメリットとデメリットを持つ「日本型雇用」の働き方が展開されてきた。
「日本型雇用」は、独特の強みを持っている一方で、構造的な欠陥を抱えていた。
基本的に、現場労働よりも管理職のほうが必要とする人数は少なく、「上司」は自分よりも多くの「部下」を持つものなので、組織は「ピラミッド構造」になりがちだ。
日本型雇用の「年功序列」は、勤続年数を重ねるほど、ピラミッド構造の上へとシフトしていく仕組みだが、毎年より多くの新卒社員を入社させなければ、組織のピラミッド構造を維持できない。
「年功序列のピラミッド構造」を維持するためには、例年よりも多くの部下を入れ続け、組織を拡大させ続けなければならない。
高度経済成長期であれば、「多くの企業が拡大し続ける」のも不可能ではなかったかもしれない。しかし、オイルショック後の低成長の時代に入ると、「日本型雇用」はその根底から崩壊の危機に直面した。
年功序列はネズミ講?
「日本型雇用」、特にその「年功序列賃金」という仕組みは、「ネズミ講」と揶揄されることがある。
「ネズミ講」は、加入者が指数関数的(ネズミ算的)に増えなければ成り立たないシステムのことを言う。
マルチ商法やネットワークビジネスなど、「祖→親→子→孫」と会員を増やしていくことで成り立つ商売が、俗に「ネズミ講」と呼ばれる。
「ネズミ講」は、「無限連鎖講(むげんれんさこう)」という正式名称があって、消費者法に類する「無限連鎖講の防止に関する法律(ネズミ講防止法)」によって禁止されている。
第一条を引用すると、
この法律は、無限連鎖講が、終局において破たんすべき性質のものであるのにかかわらずいたずらに関係者の射幸心をあおり、加入者の相当部分の者に経済的な損失を与えるに至るものであることにかんがみ、これに関与する行為を禁止するとともに、その防止に関する調査及び啓もう活動について規定を設けることにより、無限連鎖講がもたらす社会的な害悪を防止することを目的とする。
となっている。
噛み砕いて説明すると、組織が無限に拡大するのが前提の仕組みは、いつか必ず破綻するものなので、メリットをアピールして新しい加入者を募るのは、参加した人が不幸になるので禁止します、という感じだ。
ただ、「ネズミ講防止法」は、実際のビジネスに対して適用するのは難しい。(もし厳密に適用されるなら日本型雇用も禁止かもしれない。)
現在もマルチ商法やネットワークビジネスは生き残っていて、「強引な勧誘」や「商品の誇張」などを掴まなければ、しょっぴくことができないというのが実情のようだ。
ネズミ講の説明が長くなったが、では「日本型雇用(年功序列)はネズミ講なのか?」についてだが、結論を言うと、たしかに形式的にはそう見えるものの、日本型雇用はネズミ講ではない。
ネズミ講は、祖であるほど、親であるほど得をして、末端のどこかで破綻する仕組みだが、日本型雇用はそうではないからだ。日本型雇用においては、現在の中高年がそれほど得をしているというわけではないし、若者がそれほど損をしているというわけではない。
日本型雇用は、入社する若者にもちゃんとメリットがある仕組みであり、給与面だけを見て「ネズミ講」と揶揄することは妥当ではない。
日本型雇用は、「何の経験もない若者をポテンシャルだけで雇用してくれる」という、若者に多くのメリットがあるシステムなのだ。これについては、以下の「日本は若者が就職しやすい社会」という記事で詳しく解説している。

日本のように「若者の賃金が低くない」欧米では、若年失業率の高さが社会問題になっている。そのため、若者は、無給、あるいは有料であっても、インターンシップなどで職務経験を欲しがる。
給料面だけを見て、「若者が中高年に搾取されている」と言うことはできないのだ。
日本型雇用は、それほど若者に不利ではないし、それほど中高年が得をしているわけではないので、構造だけを見て「日本型雇用(年功序列)はネズミ講」というのは、妥当ではないように思える。
日本型雇用が維持されている理由
もし日本型雇用が「ネズミ講」なのであれば、とっくに破綻していてもおかしくないはずだ。
日本型雇用における「新卒一括採用」「年功序列」「終身雇用」は、本格的に限界が指摘され始めた90年代から30年経った現在も、多くの大企業が継続中である。
では、なぜ日本型雇用が今も継続できているのか?
結論から言うと、日本型雇用は「ピラミッド型」から「学校型」になっている。
つまり、少数の中高年と多数の若者という「ピラミッド」ではなく、上司と部下の人数が同じくらいの「学校」のような形になりつつある。
多くの大企業が今も「新卒一括採用」を行っているが、「組織が拡大し続ける」という非現実的な前提に基づいているわけではなく、景気にもよるが、毎年同数程度の新卒社員を採用しようとするのが実情のようだ。
小熊英二著『日本社会のしくみ』では、組織を拡大し続けなければ維持できないはずの日本型雇用が、その核となる部分に関しては、現在まで変わらず維持され続けてきたことが述べられている。

組織を拡大し続けなければ「年功序列」が維持できないという問題意識は、1973年のオイルショック時には表面化していた。
その後、日本企業は、「新卒社員」を同数程度に絞った上で、
- 出世を厳しくする(人事考課の厳格化)
- 「非正規雇用」や「一般職」という「正社員以外」を採用する
という形で、「実質的なピラミッド構造」を維持してきた。
日本型雇用に可能性はあるか?
「仕事」とされるものが、
- 少数の「管理職」
- そこそこの「事務職・技術職」
- たくさんの「作業労働」
のピラミッド構造を作りがちだとする。
これから起こりうる社会の変化として言われているのは、「事務職・技術職」「作業労働」などの仕事の多くを、機械が代替するかもしれないということだ。
働き方がピラミッド構造になるのは、19世紀から21世紀半ばまでの時代のことであって、これからの「仕事」は、それ自体の性質がピラミッドを作りにくいものになるかもしれない。
ただ、「現場で末端のアルバイトがやっているような作業こそ、テクノロジーに代替されにくい」という見解を示す人もいる。
テクノロジーに関しては、
- テクノロジーは「作業労働」を代替する
- テクノロジーは「事務職・技術職」を代替する
- テクノロジーは「管理職」を代替する
のどれもが指摘されている。
テクノロジーがもたらす影響については、様々な人が様々なことを言っているし、確定的なことはわからない。
「日本型雇用に未来はあるか?」だが、これからも継続していく可能性は十分に考えられる。
「人材の流動性が低く、職種の流動性が高い」という日本型雇用の特徴は、産業構造の変化が加速するこれからの時代において、それなりに有効に機能する可能性はあるだろう。
ただ、そもそもの話だが、「かつてはみんなが日本型雇用で働いていた」というわけではない。小熊英二『日本社会の仕組み』によると、「正社員」として働いていた人(あるいはその扶養で生活していた人)は、日本型雇用が形成された60年代から現在まで比率が変わっておらず、「約3割」だそうだ。
また、海老原嗣生や濱口桂一郎が著作などで指摘しているように、日本型雇用は、社員みんなを「管理職候補」として扱う雇用形態だ。欧米では少数のエリートが管理職候補なのに対して、日本型雇用は、約3割程度の人材を管理職候補として扱い、専門性に乏しいが柔軟でモラルの高い労働者を育成する仕組みだった。
ざっくり言ってしまうと、日本型雇用は、「労働者の約3割くらいを、がんばり次第で出世できる管理職候補として扱い、モチベーションの高い労働者として雇用し続ける」というやり方なのだ。(詳しくは、なぜ日本の管理職は無能なのか?女性比率が低い理由や欧米との違いを解説、日本企業の強みは「技術力」ではなく「現場力」【技術大国はウソ?】などの記事を参考)
これから日本型雇用がどうなるかはわからないが、機械による労働の代替などにより「約3割の正社員」の比率が大きく減っていくなら、形式的には日本型雇用の形が残っていても、それは単なる「一握りの管理職候補」であり、日本型雇用は終わったと言える状況かもしれない。
もっとも、変化の早い世の中なので、これからどうなるかはわからない。
「日本型雇用の真価はまだわからない」という曖昧な結論になってしまうが、ここで述べてきたことが何らかの参考になったなら幸いである。
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