働き方において、「成果主義」を求める人は少なくない。
多くの労働者にとって、「成果主義」という言葉は、魅力的な響きを持っているようだ。
しかしそこには、罠が潜んでいる。
この記事では、
- 日本で「成果主義」の導入が失敗した経緯
- 日本で「成果主義」が勘違いされて受け入れられた理由
- 本当の「成果主義」とはいったいどういったものなのか?
を解説していく。
「自分の職場にも成果主義が導入されてほしいな」なんてことを思っている人は、最後まで読んでいってほしい。
目次
日本における「成果主義」の歴史
日本では、「成果主義」という言葉がよく使われ、企業に導入されようとしていた時期がある。具体的には90年代から2000年代の半ばあたりだ。
「成果主義」は、「年功序列」などの日本型雇用に反対する形で、唱えられることが多かった。
バブル崩壊後の90年代、日本型雇用の限界を指摘する声が高まって、「年功序列」のような古いシステムを打ち壊そうと、「成果主義」が叫ばれたのだ。
しかし、結果として、「成果主義」の流れは、中高年のリストラなど、企業が労働者を不利にするために利用されがちだったし、フリーターや派遣事業の拡大も、似たような時流に沿って行われた。
「成果主義」は、その言葉のイメージはなんとなく良さげだったので、一時は労働者たちから好意的に受け入れられたが、実際に導入するとなると、現場が混乱し、最終的には労働者たちに否定されて失敗に終わった。
そもそも「成果主義」とは何か?
ではなぜ「成果主義」が失敗したのか?
その一番の理由は、ほとんどの仕事において、「成果」を客観的に判定する基準なんてものはないからだ。
「仕事」は、「正解(何が成果なのか?)」が定かでないことを手探りでやっていき、多くの人が協力し合うことで成り立つ場合が多い。
学校の勉強のように「それぞれが同じテストを行って、成績が良い順に評価をつけていく」なんてことはまずないのだ。
もちろん、「営業」のような、個人と成果が結びつきやすい仕事はある。ただ、そのような仕事は「成果主義」なんて言葉が持ち出される以前から、「インセンティブ」や「歩合」という概念があり、「稼げる人は稼げる」業種になっている。
そして、特定の業種以外のほとんどの場合、「個人」と「成果」が綺麗に結びつくなんていう状況は多くない。
では、「成果主義」とはいったい何なのか?
「成果主義」の働き方では、まず最初に「実績」が必要で、それを元に「交渉」し、「契約」する。契約後の仕事のパフォーマンスである「成果」が、次の仕事のための「実績」になる。
日本人にも分かりやすい例として、「プロのスポーツ選手の働き方」をイメージしてもらえれば、それが「成果主義」に近い。
「成果主義」のためには、「実績→交渉→契約→成果→実績」という循環が必要であり、欧米では、グローバル企業の要職など、一部のトップ層・リーダー層がこういった働き方をする。
日本でも、スポーツ選手や芸能人などは「成果主義」のような働き方をしているが、自己の裁量が大きく、成績や業績など、客観的な「成果」が見えるタイプの仕事だからこそ、「成果主義」が成り立つのだ。
欧米が「成果主義」というのは誤解
日本では、なぜか、「欧米人の働き方は成果主義だ」というイメージが広まっていたらしい。
これはまったくの誤解・勘違いであって、たしかに欧米のトップ層は「成果主義」だが、その他大勢の一般的な労働者は「成果主義」で働いていない。
「成果主義」は、マネジメントとして成果を出すことを求められる上司に適用されるものであって、裁量のない部下に適用されるものではない。
ただ言われた仕事をこなすだけの人(目標設定をする権限のない人)には、「成果主義」もクソもない。アルバイトや派遣労働者に対して、「成果を出せなければ給料を減額する」なんて働き方をさせることは、労働法が厳しく禁じている。
「日本人は働きすぎって本当?日本の正社員の労働時間が長い理由を解説」という記事の「裁量の大きな仕事ほど守られず、裁量のない仕事ほど守られる」というトピックでも述べたことだが、一握りのトップ層に当てはまる働き方が「成果主義」であって、指示される立場の人ほど、法律でしっかり待遇が守られる。
欧米でも、指示される立場にいる「大多数の労働者」は、「成果主義」からは程遠い働き方をしている。
日本における「成果主義」の失敗と勘違い
上で述べてきたように、基本的に「成果主義」は、スポーツ選手ならそれまでの試合の成績だったり、CEOだったらそれまでの経験や業績だったりと、「条件交渉」の前提となる「実績」があるからこそ成立するものだ。
日本においては、客観的な成果基準に晒されてきたわけでもなく、それほど決定権を持っているわけでもない社員に、「成果主義」を導入するという動きがなぜか行われたが、結果的に現場を混乱させたり、社員からの反発を受けたりして、うやむやになって終わった。
ただ、当時の日本において、「成果主義」という言葉のイメージは、多くの労働者に歓迎されやすい響きを持っていた側面がある。
バブル崩壊というショックや、日本型雇用に対する不満の蓄積から、「年功序列制度のもとに、特に大きな成果を出さずとも、ミスが少なく世渡りのうまい人が出世していく」という働き方に変わるものが、強く求められていた時代だったのだ。
しかし、「成果主義」は、その字面からイメージされがちな、「いい感じにインセンティブを与える」というものではなかった。
そもそもからして、欧米のトップ層の特殊な働き方を、「欧米では一般的な働き方」として現場に導入しようとした、勘違いによるものだったからだ。
仕事のインセンティブ設計は難しい
「成果を明確にして、頑張って働くインセンティブを与えよう」というのは、多くの経営者が考えることだが、それほど簡単ではない。
「学校のテストのように客観的に成果を測定できて、その成果が利益に繋がる」という時点で、すでにその仕事はほとんど終わっているようなもので、正社員のような「信用できるメンバー」ではなく、派遣やアルバイトや歩合で十分となりやすい。
多くの仕事は、「何が成果なのか?」も明確ではない手探りの段階から、周囲と協力しながら進めていくもので、「頑張った人が頑張ったぶんだけの成果を得られる」という学校のテストのようなものではない。
もっとも、「頑張った人が頑張ったぶんだけ成果を得られる働き方」は、現在はシェアを広げている。それは、「Uber」「Apple Store」「Youtube」など、労働者を雇用しないプラットフォームだ。これらは、言葉のイメージそのままに「成果主義」の働き方と言える。
言葉そのままの「成果主義」は、労働者としての保護がない状態
正社員、派遣社員、アルバイトとして働いている人は、いつでも雇用関係を破棄して「フリーランス」の労働者になることができる。辞職の旨を会社に告げて、役所で個人事業主届けを出せば、今日からあなたもフリーランスだ。
そして、「フリーランス(雇用労働者としての保護がない状態)」は、言葉のイメージそのままの「成果主義(results-based)」な働き方と言えるだろう。
「日本の会社って非効率だなあ」と思うことは当然にあるだろうが、そのように不満に思いやすいことも、「労働者の権利を守るために構築された仕組み」である場合が多い。
近年も、ブログやYouTubeなどで、「古い働き方」を否定して「成果主義」を唱えるインフルエンサーが目立つが、実質的には「保護を手放してフリーランスになれよ!」と勧めている場合も多い。
フリーランスの働き方が悪いわけではないし、変化の激しい時代において「守られているから成長できない」という言葉が説得力を持つことも否定しないが、「成果主義」は、多くの労働者が素朴にイメージしがちなものではないことを、当記事を読んだ人にはわかってもらえたと思う。
「成果主義」でまず必要になるのは「実績」だ。
上で出したスポーツ選手の例をよく考えてほしい。「成果主義」に飛び込むから「実績」が得られるのではなく、何らかの「実績」がある人だから「成果主義」で働くメリットがあるのだ。
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