「経営者の立場で考えよう」「経営者目線で考えよう」というのは、多くの労働者から評判が悪い。
実際のところ、労働者は、経営者の目線になど立つ必要はなく、労働者であることの権利をできるだけ享受すればよい。
しかし、就職、出世、転職などにおいて、労働者は「経営者の評価に晒される」ことになる。
その際に、良い結果を出したいのであれば、「経営者の立場で考えられる」に越したことはない。
スポーツの試合で対戦相手のことを調べないプロなどいないように、会社員としてうまくやっていきたいならば、「自分を雇う人間が何を見ているか?」を類推しようとするのは、ごく当たり前のことだ。
この記事では、「経営者目線」について解説する。
なぜ「経営者目線」は否定されがちなのか?
TwitterやYouTubeのような、自由な発言が可能なプラットフォームでは、「経営者の立場」や「経営者目線」は、否定される傾向にある。
その理由の一つは、しばしば「経営者目線」というものが、「経営者にとって都合の良い考え方」を労働者にインプットするために用いられるからであろう。
また、労働者が団結して権利運動をするときには、「労働者たちの結束力を高める」ために、「なるべく相手(経営者)のことを考えない」というやり方が、それなりの有効性を持つ。
そのため、数としては労働者が圧倒的に多い、一般的な言論の場などにおいては、「経営者目線」は否定されがちだ。
しかし、「一人の労働者として、うまく立ち回り、良いキャリアを築いていきたい」という場合、「経営者の立場で考える」というのは、ごく当たり前に必要なことだ。
- 経営者の都合の良い考え方に染まる
- 経営者がどんな視点で物事を見ているかを考えようとする
のふたつは、必ずしもイコールではない。
むしろ、経営者と労働者は、しばしば対立するものだからこそ、「相手が何を考えているか?」を考える必要があるのだ。
なお、「経営者目線」においてよく引用される、松下幸之助の『社員稼業』の一節に、
自分は単なる会社の一社員ではなく、社員という独立した事業を営む主人公であり経営者である、自分は社員稼業の店主である、というように考えてみてはどうか、ということである。
があるが、これは確かに、「経営者に都合の良い考え方を労働者に押し付ける」側面がある。
もっとも、これはこれで文脈と時代背景があるものなので、松下幸之助の言葉が悪いというつもりは一切ない。
ただ、この記事で言う「経営者目線」は、「経営者のつもりで社員として働くマインドを身に着けろ」ではなく、「自分を雇用している人間が何を考えているのか想像する力を身に着けろ」という意味である。
では、「経営者目線で考える」とは、いったいどういうことなのか、以下で解説していく。
日本の経営者は、社員を雇用するとき何を考えているのか?
では、経営者は、いったい何を考えているのか?
「そんなの人による」のだが、ここでは制度的に考察したい。
まず、労働者の立場にいるとなかなか考えないことだが、経営者は、かなり理不尽な制度に晒されている。
「世の中が経営者に厳しすぎる」という話については、詳しくは以下の記事に書いている。

日本の場合、経営者は、労働者を簡単に辞めさせることができない。
これについては、「日本型雇用」という日本特有の働き方が関わっていて、より詳しくは以下の記事を参考にしてほしい。
欧米の場合は、「何をやるのか?」という「契約」をしっかり結ぶ傾向がある。そのため、契約した仕事を十分にこなすことができない労働者を、比較的解雇しやすい。
解雇条件が緩いアメリカと違って、EU諸国はもう少し労働者の保護が厚い。ただそれでも、そもそもの雇用するかどうかの時点で、「どういう資格があり、どういう職歴があるか」という「職務基準」が、ある程度の客観性を担保しているので、それをもとに人材を判定しやすい。
だが、日本の場合、もちろん経歴は重視されるが、欧米のように客観性のある「職務基準」が成立しているわけではない。
さらに、一度「正社員」として雇用した労働者は、いちど雇ったら辞めさせにくいし、辞めさせることができたとしても、多くのコストがかかる。
つまり、日本の雇用は
- 労働者の能力を判定する基準があいまい
- 雇用したら簡単に辞めさせることができない
という特徴があるのだ
日本では、就職活動や転職をする際に、労働者は曖昧な基準に苦しめられるが、それは経営者にとっても同じことなのだ。
そして、「経営者目線」と言っても、それほど大層なものではなく、経営者も同じ人間であり、「特に客観的な基準があるわけでないけど、ちゃんと働く信用できるやつが欲しい」くらいのことを思っている場合が多い。
例えば、日本では「学歴」が大事とよく言われる。日本の場合、「大学で学んだこと」が直接仕事と関係あるかはあまり重視されない。ただ、学歴という秩序において成果を出した者は、ある程度は体制に順応的で、言われたことを当たり前にこなせる可能性が高く、最低限の能力が保障されていると見なされやすい。
学歴が絶対だと思っている人は少ないが、「日本には労働者の職務能力を示す客観的な指標がなく、唯一の客観的な指標が学歴である」という理由で、学歴が重視されるのが実情だ。
労使は対立するが、だからこそ経営者目線が必要
労使(労働者と使用者)は、対立するものだ。
経営者(使用者)は、自分たちにとって有利な条件で優秀な人材を雇いたいし、労働者は、自分にとって有利な条件で雇用してもらいたがる。
日本型雇用の場合、経営者は、(抽象的な表現にはなるが、)「常識的な判断力と対応力を持ちながら、大局的な意思決定には素直に従う、柔軟性と忠誠心をもったタイプ」の労働者を欲しがる。とはいえ労働者側からすれば、そのような都合の良い労働者になりたがらない場合が多い。
必ずしも「労使」の利害は一致せず、お互いに自分たちが有利な条件で「雇いたい-雇われたい」と思っている。
だが、当然ながら、労使の利害が一致することもある。「会社と労働者の両方に利益がある」というのが、理想的な労使関係であり、そのような状況が発生するのも珍しくはない。
欧米のように、明確な「職務契約」を重視しない「日本型雇用」は、「労使がWin-Winになれる関係」を重視する働き方であるとも言える。
必ずしもすべてがうまく行くわけではないが、うまく行っている部分もあるのだ。
「労働者として経営者から良い待遇を勝ち取っていく」という意識も必要だが、「経営者の立場も考えてお互いに利益のある関係を築いていく」という意識もまた必要なものだ。
特に、日本型雇用においては、「経営者目線に立ち、お互いにWin-Winの関係を目指せる」労働者が、経営者から高く評価されやすい。
経営者に「わかってる感」をアピールする
「経営者目線」がまったくない労働者は、技能、資格、優秀さなどを過剰に重視して、的はずれなアピールをしてしまいやすい。
「技能、資格、優秀さ」に関しては、履歴書などのテキストから客観的に把握できることなので、面接で頑張ってアピールしても挽回の余地が少ない。プログラマーの採用などはまた別だが、日本の正社員採用において、面接などの場で重視されるのは、「経営者と労働者で、互いにWin-Winになれる信頼関係を築けるか」というところなのだ。
新卒採用・第二新卒くらいまでならば、「自分は忠実で、経営者にとって都合の良い人間ですよ」というアピールでも、日本の雇用の仕組み上、良い企業に就職できる可能性が高い。
ただ、40代、50代くらいで、出世、転職を考える場合は、「忠誠心・使いやすさ」のアピールだけでは、無能な人間と見なされてしまう場合も多い。
直接的にそれを言うわけではなくとも、「自分は、様々な矛盾や足かせがある中で、人を雇用している経営者の大変さをわかっているし、全員で協力して全員の利益を目指す働き方に協力したい」みたいな「わかってる感」が、態度や言動から伝わってくるような感じであれば、面接では良い評価がされやすいだろう。
働いているうえで色々と不満はあるだろうから、「労働者は経営者の立場になんて考えなくていいんだよ!」となってしまうのは理解できるが、実利的に考えて、「経営者目線」は「付け焼き刃でもわりと役に立つスキル」なので、一概に否定せずに「自分を雇用している人が何を考えているのか?」を考えてみよう。
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