転職したいと思っている労働者は、転職サービス(転職仲介業)を無料で使うことができる。
だが、「どうしてそれを無料で使えるのだろう?」と気になったことはないだろうか?
自分がそれを無料で使えるということは、誰かが損をしているのではないか。あるいは、損をしているのは無料で使っている自分自身なのではないか、と考えたことのある人もいるはずだ。
または、転職サービス関連のメディアが打ち出している意見に違和感を持つ人もいるかもしれない。
今回は、転職サービスのビジネスモデルを解説し、それを日本の雇用環境と関連づけて、「それが社会にとっていったいどういう意味を持つのか?」について論じていきたい。
転職仲介業について、もやもやした気持ちを抱えている人の期待に添える内容になっているかもしれない。よければ参考にしていってほしい。
転職仲介業のビジネスモデル
転職サービスの主要なものとして、人が介在しない「転職サイト」と、人がサポートする「転職エージェント」があるが、どちらも「企業側からお金をもらうので、求職者は無料で使える」という点で共通している。
「転職サイト」は、求人を出すための掲載料や、面接や採用が決まったときの手数料が収入源だ。求人広告の大きさや掲載順位によって掲載料が決まることが多い。
「転職エージェント」は、採用が決まったときに、企業から手数料を貰うのが主となる。転職エージェントの紹介手数料は、「年収の約3割」が一般的な相場と言われている。
例えば、転職エージェントを通して、企業があなたを年収600万で雇用したとしよう。あなたに支払われる年収は600万でも、企業は追加でエージェントに180万を支払っているので、実際にはあなたに対して780万円出していることになる。
転職エージェントは、夜の業界の「スカウト」などとだいたい同じシステムだ。
こう聞くと、「人を横流しするだけで大金が手に入る転職仲介業はちょろいビジネスなのではないか」と思われるかもしれないが、実際のところは、すでに競争が激しいレッドオーシャンだ。
転職エージェントもみんな必死で、企業側になるべく信頼されようと努力するし、求職者側はちゃんと就職できるようにサポートしようとする。
企業側からすれば、求めている人材が手に入るかもしれないし、求職者側からすれば、無料でサポートしてもらえるので、双方にとって良い結果になる可能性のあるビジネスモデルではある。
もっとも、採用さえ決めてしまえば金が入るので、「企業や求職者のことなど考えずに、とにかく転職させる」という悪質なやり方をするエージェントもいないわけではない。
「人材の流動性」が高まるほど儲かる転職仲介業と、日本型雇用の仕組み
転職仲介業は、そのビジネスモデルの性質上、転職する人が増えるほど儲けやすくなる。逆に、誰もが最初に入社した企業にずっと所属し続ける社会であれば、転職サービスというビジネス自体が存在しない。
ところで、日本の労働市場は、欧米などの国と比較して、特殊性があると言われる。
「日本型雇用」について、詳しいことは、当サイトの別の記事で解説しているので、気になる方は以下を参考にしてほしい。
簡単に言うと、「日本型雇用」は、「社員のほとんどが会社を辞めない」ことを前提にした雇用・労働慣行だ。
- 「新卒一括採用」……その時点での職務能力ではなく、対応力と将来性を見て、「育てていく」前提で新卒の学生を雇用する
- 「年功序列」……同一企業における所属年数と給料が比例するので、長く勤めた会社を辞めると不利になりやすい
といったシステムにより、日本は「労働者が転職しにくい社会(人材の流動性が低い社会)」だった。
このような日本社会の硬直性は、当の労働者たちから強い批判がされてきたし、「もっと変わっていくべきだ」という声も大きい。
ただ、「会社を辞めにくい」からこそ成り立つ「日本型雇用の良いところ」も存在する。それは、「社員を育てる」仕組みがあることだ。
日本型雇用は、職業能力が低いうちから潜在能力を見込んで雇用し、社員を育てようとする。
「会社を辞めにくい」雇用慣行だからこそ、「長期的な視野を持って社員を育てていく」ことが可能なのだ。
なお、日本企業のような社員の育成は、欧米社会では一般的ではない。
欧米の場合、労働者を育成するシステムは「企業の外部」にあり、そのため、「大学院」や「職業資格」の役割が日本と比べてずっと大きい。
なお、待遇の良い仕事の「職歴」を得るためには、無休のインターンシップなどが必要なことが多く、それをできる余裕のある階層と、そうではない階層との格差が問題になっている。
「日本は若者が就職しやすい社会【若者は搾取されているのか?】」でも述べたが、年功序列は給料が低い若者が損をしているイメージがあるが、「雇ってもらいやすい」という点において、若者にもメリットのある仕組みなのだ。(欧米は日本よりも若年失業率がずっと高い社会である。)
「会社を辞めにくい」というのは、不合理な仕組みに思う人が多いだろうが、それなりの利点もあった。
そして、穿った見方をするならば、転職仲介業は、「社員を育てる」という日本型雇用の慣行を「切り崩す」ことによって利益を得ている業態と言える。
日本型雇用のもとでは、企業は若手社員をまったく仕事ができない状態から育てていく。そのようにして育てられた社員を、転職させ、他の企業に引き渡すことによって手数料を得ようとするのが、転職仲介というビジネスなのだ。
では、日本型雇用の慣行における美徳を「切り崩す」ことによって利益を得ようとする転職仲介業は、良いことをしているように見えて闇の深い悪徳産業なのだろうか?
そうとも言い切れない。
別々の正しさが対立する
人材の流動性が高まることで利益を得る「転職仲介業」と、人材の流動性が低いからこそ成立してきた「日本型雇用」においては、2つの正義が対立している。
どちらにも良い側面と悪い側面がある。
例えば、あえて転職仲介業の悪い点を強調するなら、
転職仲介業は、人材の流動性が高まり、労働者が企業を移動すればするほど儲かる。
そのため、企業と労働者の不和を煽るような論調を支持しがちだ。企業の不満や至らない点を労働者に認識させ、長期的な視野や責任感もないまま「もっと良い労働条件がある」と言って労働者を転職させようとする。
「労働者をしっかり育てる」企業から、他の企業に労働者を引き渡すことができれば、その企業からの実入りは大きくなりやすい。
仲介手数料を目的に、日本型雇用のそれまでの積み上げにフリーライドして、労働者を移動させることで稼ぐ悪徳ビジネスなのだ。
となる。
逆に、あえて転職仲介業の良い点を強調することもできる。
日本型雇用の仕組みは、現代では不合理な側面が大きく、より合理的な仕組みへと変わっていくべきである。
「社員が辞めにくい」という硬直的な慣行が根強いままだと、企業には労働者の待遇を良くするというインセンティブが働かない。このままでは、企業も労働者も成長できず、変化の激しい時代に対応できなくなる。
「最初に入社した企業に大きく人材が左右される」仕組みは、多くの労働者の意欲を削ぎ、情報がコモディティ化された今の社会に相応しくない。
優秀な人材は転職によってキャリアアップできる可能性があり、旧来の仕組みに甘えている企業は、労働者にとって魅力的な環境を用意するように努力すべきである。
古い美徳に甘えすぎることなく、人材の流動性を高めていくことは、日本社会にとって必要な取り組みなのだ。
となる。
上の2つの意見は、どちらにも正当性がある。
古い仕組みに美徳があったのも確かだが、それが限界を迎えているのも確かだ。
それぞれの労働者や企業が、どちらの意見を支持するかは、それぞれが置かれているポジションによって異なる。
労働者にも
- 「流動的な市場での評価を気にしなければならないので負担が増えるので嫌だ」という人
- 「最初の企業に縛られずに、キャリアアップしていける可能性があるから嬉しい」という人
がそれぞれいるだろう。
また、企業にも
- 「せっかく社員を育てようとしても、辞めてしまいやすくなるので迷惑」という企業
- 「魅力的なビジョンと労働環境を提示すれば、優秀な社員を獲得しやすくなるのでありがたい」という企業
がそれぞれあるだろう。
転職仲介業が支持しがちな「労働市場の流動化」は、良い側面と悪い側面があり、一概に「悪」と断じることはできない。
「公正さ」を追求することの代償
現代の生きる多くの人は、「優秀な人材にはそれに見合う待遇が与えられるべきだ」と考えているだろう。
優秀な人間がそれに見合う待遇、という「公正さ」を追求するなら、労働市場は硬直的であるよりも流動的であるほうが望ましいことになる。
硬直的な「日本型雇用」は、「社員を育てる」などの美徳はあったものの、
- 新卒採用の時期を逃した人が不利になる
- 最初に入社した企業でうまく行かなければ不利になる
- 出産によってキャリアが断絶しやすい女性が不利になる
- 新卒採用の枠組みから外れる博士号持ちや外国人が不利になる
など、「公正さ」を重視する視点からは、「変えていかなければならない」仕組みであることは間違いない。
しかし、「公正さ」の追求にこそ罠があり、その結果として、多くの人が苦しい競争に晒されているのかもしれない。
「最初に入社した企業を辞めると不利になる」というのは、不公平ではあったが、多くの労働者たちにとってはラクな働き方ではあった。
「労働者は安心して企業のために働き、企業はそのような労働者に報いる」という幸福な形が成り立ったいた部分も確かにあったのだろう。
一方で、流動的な労働市場に自らを投げ出すのは、常に自分の市場価値を意識しなければならず、過酷な競争に晒されやすい環境である。
公正さを追求するほど、「誰にでも平等にチャンスがあが得られるが、そのぶんだけ競争が厳しい」社会になっていく。
これは、雇用に限らず、恋愛や結婚などにも同じことが言えるだろう。
「家の決めた人」や「お見合いで見繕った人」と結婚するという古い仕組みが消えて、「マッチングアプリ」や「結婚相談所」などと、より広く自分に合う人を求めるツールが普及した。だが、そのような「恋愛市場・婚活市場」で起こっているのは、「一部の上位層に人気が集中し、平均的な人たちがより苦しい競争に晒される」ことだ。
「転職市場の流動化」にしても、「恋愛市場の流動化」にしても、より広く、より条件を平等に、という「公正さ」の追求こそが、上位層が人気を独占するような環境を生み出す。
転職仲介業などに代表される「流動性を高めようとする論調」は、既存の社会を破壊して利益を得ているという点で批判されることが多い。しかし、「公正さ」いった点においては、むしろ流動性を高めようとするほうに利がある。
転職仲介業などがよく掲げる「優秀な人材にはそれに見合う待遇が与えられるべき」というコンセプトを真っ向から切り崩すのは難しい。
流動性の良さを煽る言説には注意したい
上で述べてきたように、「社会の流動性を高めることで仲介料を得るビジネス」というのは存在する。
そのような、転職仲介業や出会い系事業などは、現状の不満を強調し、新しい可能性を高く見積もりがちだが、それは必ずしも間違ったことではなく、むしろ「公正さ」といった点では、流動性を高める価値観に軍配が上がる。
だからこそ、「公正さの追求こそが、大多数を苦しい環境に追いやる」という視点が重要だ。
「流動的な市場」、「客観的な能力基準」といったものは、これからも社会を侵食していく可能性が高く、労働者として意識せずにはいられないものかもしれないが、「それが過剰に煽り立てられている」ことに注意しなければならない。
労働環境に不満がない人のほうが少数派だろうし、ずっと同じ企業でしょうもない仕事をしている自分は怠け者なのではないか、と不安になる人も多いだろう。
だが、「不満もあるけど、そこそこに満足している」のであれば、「同じ企業にずっと勤め続ける」というのも、それはそれで素晴らしいことであり、多くの人が流動的になるからこそ、一つの企業に居続けることが価値になるかもしれない。
「転職仲介業は、やっていることはえげつないかもしれないが、流動性を上げる動きにも正当性はあり、悪と言い切ることはできない」という煮え切らない結論にはなってしまうが、「流動性の良さを煽るような言説には注意が必要」という指摘もできる。
正解は人によるし、これからどのように社会が変化していくかは不確定なので、わかりやすい助言をすることは難しいが、当記事の内容が何らかの参考になったのなら幸いだ。
コメントを残す