バブル崩壊後の、1990年代半ばから2000年代半ばに新卒での就職活動を経験した世代は、「就職氷河期世代」と言われる。「ロスジェネ(ロストジェネレーション)」と呼ばれることもある。
「就職氷河期世代」の問題は、まだ何も解決していないし、現在も氷河期の余波に苦しみ続けている人たちがたくさんいる。
氷河期世代の問題が、後の社会保障などに大きく影を落とすことは今の時点でも明白であり、日本社会全体が考えるべき問題だが、氷河期世代に対しては、いまだに「自己責任論」や「いつまでも被害者意識を持つな」という意見が投げられることも多い。
今回は、「なぜ就職氷河期の問題が起こったのか? なぜ現在も悲惨な状況が続いているのか?」を、根本的な仕組みの部分から解説する。
就職氷河期の当事者でさえ、「なぜ氷河期世代が悲惨だったか」について理解している人は少ない。誰もが読めるように、なるべくわかりやすくまとめて書いているので、当事者も、そうでない人も、よければ読んでいってほしい。
なお、これを書くにあたって、濱口桂一郎『若者と労働』、小熊英二『日本社会のしくみ』などの書籍を参考にしている。
目次
氷河期世代とは何だったのか?
就職氷河期世代は、一言で言うなら、「日本型雇用」システムの犠牲になった世代だ。
「日本型雇用」は、悪いところもあれば良いところもあるシステムなのだが、「新卒採用のタイミングで失敗した人が、その後のキャリアで不利になりやすい」という欠点を持つ。
その「日本型雇用」の悪い面が、世代単位で社会問題になったのが「就職氷河期」だ。
氷河期世代の問題にとって重要なのは、氷河期に突入する少し前の時期から、「もっと自由で柔軟な働き方をするべきだ」などといった「日本型雇用を否定する価値観」が日本社会に広まっていたことだ。
バブル崩壊の反省などにより、「日本型雇用のままではダメなので、欧米型の、より流動性の高い働き方を取り入れていくべきだ」という考え方が、日本人に受け入れられるようになっていった。
しかし、氷河期世代が終わっても、日本型雇用はまだ根強く残っている。(「日本型雇用はもうダメ」と30年前くらいから言われているものの、いまだにほとんどの大企業が「新卒一括採用」や「年功序列」の仕組みを維持している。)
日本社会は、「日本型雇用を否定しようとしたが、否定しきれなかった」のだ。
そして、その「日本型雇用を否定しようとしていた時期」が、「氷河期世代」であったことが、問題をより深刻なものにしている。
- 氷河期世代は、日本型雇用の犠牲になった世代
- 就職氷河期は、日本型雇用を否定し、欧米型の働き方への切り替えを目指していた時期でもある
- 結局のところ、日本型雇用を否定する試みはあまり成功せず、それが氷河期問題をより深刻にしている
もし、バブル崩壊を起点にして、日本型雇用が崩壊していったなら、氷河期問題は今ほど深刻にはならなかったかもしれない。
「新卒採用のタイミングで失敗した人が、その後のキャリアで不利になりやすい」という日本型雇用のシステムが崩れ去ってしまったなら、氷河期世代の不利が長引くことはなかっただろう。
しかし、2000年代の半ばから景気が回復し始めると、「日本型雇用」は、ある意味では再評価され、システムは維持され続けた。
そして、日本型雇用における「新卒正社員」としてのファーストキャリアを積めなかった氷河期世代は、「年功序列」のレールからこぼれ落ち、世代間で生じる不平等の苦しみを受け続けることになった。
この記事では、氷河期世代の問題をより詳しく解説していくが、氷河期が問題になった主な原因を、以下の3つにまとめた。
- 日本型雇用の限界
- 欧米型への切り替えの失敗
- 「雇用労働者」自体の増加
では、以下で、それぞれ解説していく。
日本型雇用の限界に直面したが、若年失業問題は認知が遅れた
氷河期の悲惨さの一つは、当時、それが問題であるとすぐには認識されず、「自己責任」などの形で放置されていたことにある。
日本政府は、氷河期世代の問題が起きていた当初、それを問題として認識できなかった。
濱口桂一郎氏が『若者と労働』で述べていることだが、日本は、欧米諸国と比べて「若者が就職しやすい」社会だったがゆえに、「若年失業問題」というのが初見の事態だった。
「日本型雇用特有の若年失業問題」が起こったのは、就職氷河期が初めてのタイミングだったのだ。
多くの日本人は認識していないかもしれないが、実は日本型雇用は、「若者が就職しやすい」雇用システムだ。(参考:日本は若者が就職しやすい社会【若者は搾取されているのか?】)
「年功序列」という制度に、「若者が使い潰される」というイメージを持っている人も多いかもしれないが、「何のスキルもないのに雇用してもらえてキャリアを積める」のは、若者にとっても大きなメリットがある。
「年功序列」ではない欧米社会は若年層の失業率が高くなりやすい。「同一労働同一賃金」ならば、経験豊富な中年と、経験の浅い若者とで、企業は中年のほうを選ぶからだ。
そのため、欧米社会においては、不況時には若年の失業が問題になりやすく、ファーストキャリアを積めない若者の支援が、欧米における雇用政策の中心を占めてきた。
一方で日本社会は、オイルショック時には不況を経験したが、主に問題になったのは「中高年のリストラ」であり、若者の失業問題はあまり深刻なものにならなかった。
日本型雇用は、「経験のない若者でも雇用されやすく、ファーストキャリアを積みやすい」という利点がある。しかしその反面、「新卒一括採用のタイミングを逃した人が大きく不利になる」という欠点を抱えていた。その欠点が一気に噴出したのが「就職氷河期」だ。
しかし、日本社会は、「若者の大量失業」という問題を経験してこなかったので、「若年失業率への支援が必要である」という認知や、支援のためのノウハウが存在しなかった。初見の問題であったがゆえに、対応が遅れたのだ。
POINT
- 日本型雇用は、スキルのない若者でもポテンシャルを評価され採用されるので、若者がファーストキャリアを積みやすく、若年の失業が問題になってこなかった
- 「若者が採用されやすい」かわりに「新卒採用の時期を逃した人が大きく不利になる」という欠点があった
- 「就職氷河期」によって、「ファーストキャリアを積めない若者の大量発生」という問題に日本社会は初めて直面したが、それまで経験したことのなかった問題であり、それが問題であるという認知や対策が遅れた。
皮肉なことに、これまでの日本が「若者が就職しやすい社会」であったがゆえに、「就職氷河期」への対応が遅れたのだ。
そして、氷河期世代は、「新卒採用の時期を逃すと大きく不利になる」という日本型雇用の負の側面を、より深刻に背負い込むことになってしまった。
もっとも、政府の対応が遅れた理由としては、若者が望んで「アルバイト」や「非正規雇用」にやっていると思われていたことや、「日本型雇用を否定する考え方」が流行していたという事情も大きい。
欧米型の働き方への切り替えを目指していたが、日本型雇用を否定しきれなかった
就職氷河期の問題の認知が遅れた大きな理由として、当時の新卒の若者は、「就職できない」のではなく、「就職しない」のだと考えられていた。
この大きな理由として、当時は、日本型雇用を否定する価値観が流行っていた時代で、別の働き方を模索している段階だったからだ。
バブル期の80年代後半では、「フリーター」や「派遣社員」のような働き方が肯定的なものとして紹介され、バブル崩壊後の90年代からは、日本型雇用の硬直性を否定して、欧米のような、より流動的な働き方を目指すべきだ風潮が強くなった。
フリーアルバイターの略である「フリーター」という言葉は、当初は肯定的な意味合いで使われていた。
87年に、リクルート社のアルバイト情報誌「フロムエー」により、『フリーター』という映画が作られた。
(東宝東和株式会社、映画『フリーター』より)
「フリーター」は、「自由な働き方」という肯定的なものであることを意図して喧伝された。
また、「派遣労働」は、日本型雇用の硬直性に対応するために、86年の「労働者派遣法」によって、制度化されていった。
「派遣労働」の範囲は、後に様々な業種へと拡大されていくのだが、制度ができた当初は、高待遇の専門職にのみ許された働き方であり、日本型雇用のオルタナティブとしての役割を期待されていた。
このような、80年代後半の「正社員ではない」=「新しい働き方」というポジティブなイメージは、氷河期世代の「就職できない若者」が、「就職しない若者」と認知される原因になった。
氷河期世代の多くは、正社員になれず、仕方なしに「フリーター」や「派遣社員」になったのだが、それ以前の肯定的なイメージゆえに、「自ら望んで正社員になれなかった」と思われることが多かった。氷河期世代に「自己責任論」がついてまわるのは、このような背景があるのだ。
また、バブル崩壊後の90年代からは、「もう日本型雇用のままだと日本はダメになる」という意見が盛んに言われた時代で、2001年からの小泉政権の「構造改革」に繋がる流れがあった。
当時の日本社会には、日本型雇用を否定し、雇用の流動性を高めようとする動きがあったので、「若者が正社員にならない(なれない)」という問題は、見過ごされがちだった。
だが、「日本型雇用はいつからできたのか?今後どうなるのか?」で詳しく解説したが、日本型雇用は、バブル崩壊から「もう終わり」と言われ続けながら30年経っても、いまだに強い影響力を持ち続けている。
就職氷河期の時期には、「日本型雇用はもう終わる」ということが盛んに言われていたのだが、「日本型雇用は終わらなかった」のだ。
そして、景気が回復してきた2000年代半ばからは、日本型雇用の仕組みで、大学新卒が「正社員」として就職していく傍ら、氷河期世代の多くは、フリーターや派遣社員として働き続けなければならなかった。
「日本型雇用からの脱却を図ったが失敗して、日本型雇用が継続することになった」ことが、氷河期世代の問題を、より複雑で、より深刻なものにしている。
POINT
- 氷河期世代が新卒だったときの日本は、日本型雇用を否定して、新しい働き方を模索していた時期でもあった。
- 結局のところ日本社会は、日本型雇用を否定しきれず、氷河期が終わったあとも日本型雇用が続くことになった。
- 氷河期と、日本型雇用が否定されたタイミングが重なっていたので、問題の認知が遅れ、「自由な働き方を求めたのだから自己責任だ」という批判に晒されがちだった。
氷河期世代は、日本型雇用システムの貧乏くじを引かされた世代だ。本来ならば同情されてしかるべきだが、同時期に「日本型雇用から脱却しよう」という動きが盛り上がってしまったがゆえに、当初は問題が認知されず、さらに問題が露見したあとも、自己責任論に晒されがちだった。
氷河期世代は、いろいろと運が悪かったと言わざるをえない。
しかし、もし仮に、今まで説明してきたような不運が重ならなかったとしても、「就職氷河期」という問題は起きていただろう。
就職氷河期の根本的な要因は、「自営業者」が減って、「雇用労働者」が増えたことにあるからだ。
産業の発展により「雇用労働者」が増えるという根本的な要因
氷河期世代の問題において、「不景気によって正規雇用の枠が減らされた」「団塊ジュニア世代だから人口が多かった」というのも要因ではあるが、より根本的な要因として、自営業が減り、「雇用労働者(会社に雇われて働こうとする人)」の母数が増えていったという事情がある。
「非正規雇用はなぜ増えたのか?本当は何が問題なのか?構造的な理由を解説」で詳しく解説したが、実は「正規雇用」の枠自体は、それほど減ってはいない。
データを見ると、「正規雇用」がそれほど減っているわけではないにもかからず、「非正規雇用」が一方的に増えているのだ。
(グラフ引用は「総務省統計局-正規・非正規雇用の長期的な推移」から)
(グラフ引用は「社会実情データ図録-正規雇用と非正規雇用の推移」から)
では、増えた「非正規雇用」はどこから来ているのかというと、自営業が廃業して、雇用されて働かざるを得なくなったのだ。
小規模零細で「自営業」や「家族従業員」として働いていた労働者が、事業を廃業して、雇われて働くようになった。
「自営業」が「雇用労働者」になる現象は、日本以外のどこの社会でも、経済活動の成熟とともに起こる。
大手企業が効率化を進めるほど、商店街の小売のような、零細でやっているところが事業として成り立たなくなり、かつては事業主として働いていた人が、大手スーパーのアルバイトとして就職する……みたいなことが起こるのだ。
小規模零細の自営業が淘汰されていく現象は、どこの国でも起こることだが、会社間の移動がしにくい日本型雇用は、生産性の低い事業が生き残りやすく、この流れがゆるやかに進む傾向があった。(これについて詳しくは、小熊英二『日本社会のしくみ』で解説されている。参考:『日本社会のしくみ』の要約と解説)
「自営業」が減って「雇用労働者」が増える傾向は、日本の場合はある程度遅れてやってきて、上の図を見る限りは、90年代からそれが顕著になっている。つまり「氷河期世代」と重なっているし、むしろこれが「就職氷河期」の主な原因とすら言えるかもしれない。
「正規雇用」の枠が変わらなかったとしても、「雇用労働者」の母数そのものが増えたので、正社員になるための競走は過酷になる。
「収益性の低い事業が淘汰され、雇用されて働く人の総数が増えた(素朴な産業が成り立たなくなり、大卒の仕事しかなくなり、大卒の数自体も増えた)」のが根本的な要因であり、仮に不景気が起こらず、企業が正社員の枠を増やす傾向にあったとしても、限られた正社員の枠を争う「就職氷河期」の問題は起こっていた可能性が高い。
そして、もし70年代の日本であれば、新卒での就職に失敗したとしても、実家の家業を継ぐとか、親戚の仕事を手伝うなどの選択肢がまだあったかもしれない。しかし、90年代は、収益性の低い個人事業でもそこそこやっていけるような牧歌的な時代ではすでになくなっていた。
氷河期世代の不幸は、競争率の高さに苦しみながらも、「企業に雇われる」以外の選択肢を持てず、自己肯定感の低下や、社会からの疎外という問題に悩まされやすかったことにある。
POINT
- 経済が発展すると、小規模零細の自営業が淘汰され、企業に雇われて働く「雇用労働者」が増える。
- 実は日本は「正規雇用」の枠自体がそれほど大きく減ったわけではなかったが、「雇用労働者」の数自体が増えたので、「正規雇用」を巡る競走は厳しいものになった。
- 氷河期世代の過酷な競走の背景には、「自営業」が淘汰され「雇用労働者」が増えたという背景が大きく、また産業が高度化しているがゆえに、職にあぶれた人間はより厳しい立場に立たされた。
就職氷河期はなぜ悲惨だったのか?今の人がわからない氷河期世代のつらさ
以上までで解説してきた話をまとめると
POINT
- 「日本型雇用の限界」……日本型雇用は、「若者が就職しやすい代わりに、新卒採用の時期を逃すと不利になりやすい」システムだった。時期的な要因によって「新卒で就職できない」若者が大量に発生したのが「就職氷河期」の問題なのだが、日本社会はそれ以前に若年の失業があまり問題にならなかったので、深刻な事態であるという認知が遅れた。
- 「欧米型への切り替えの失敗」……就職氷河期世代の新卒採用の時期には、「日本型雇用を否定する意見」が盛り上がり、日本型雇用を切り崩して欧米型に変えていこうとする動きが起こっていた。また、その少し前には「フリーター」のような働き方が肯定的なものとして紹介されていた。そのため、氷河期世代は「就職できなかった」のだが、あえて「就職しない」のだと捉えられることが多く、自己責任だと責められる時期が続いた。
- 「雇用労働者の増加」……経済が成熟すると、「自営業」が淘汰されて「雇用労働者」が増える。仮に「正規雇用」の枠が減らなかったとしても、「雇用労働者」の母数自体が増えていく傾向にあったので、「正社員として就職できない人が増える」氷河期世代の問題は起こっていた可能性が高い。
となる。
注意したいのは、上の説明は、労働問題や日本社会の構造についてずっと調べてきた研究者が提示した視点であり、氷河期世代の当事者たちは、何がなんだかわからないまま就職活動などを続けていたということだ。
就職氷河期の渦中で就職活動をしていた人たちは、いきなり就職活動の難易度が激化し、企業から横暴な扱いを受け、自己肯定感を喪失し、劣悪な待遇で働かされ、その上に「自由な働き方を目指したのだから自己責任だ」と批判されることが多かった。
実際のところ、就職氷河期は、「日本型雇用の負の部分が特定の世代を大きく不利にした」という話であり、氷河期世代は普通に運が悪かったので、「自己責任だ」とか「もう何十年も前のことだろ」と批判するのは不当だ。
「日本型雇用」を信じていない今の若い世代からすれば、「日本型雇用にしがみつけなかっただけの話じゃないか」と思うかもしれない。
しかし、就職氷河期の時代は、今ほど情報がコモディティ化されていたわけではないし、相対的な視点が普及していたわけではない。
今のように、インターネットやSNSで不満を気軽に共有するのが当たり前の時代でもなかった。(ネットを使っていた人がいなかったわけではないが。)
親世代の価値観も、「大学を卒業したら正社員として就職するもの」というのがベースにあったので、就職できないことの劣等感・疎外感は、今よりも重いものであった場合が多いだろう。
また、「ファーストキャリア」の失敗は、短期的なものに留まらず、その後の人生にも大きな影響を与えるので、就職氷河期の問題は、今もなお継続中なのである。
なぜ氷河期世代は力を持てないのか?氷河期問題が根深い理由
氷河期世代は、「政府が何もしてくれなかった」という不満や恨みを持っている人が多い。実際に就職氷河期、それが問題と認識されず、対応が遅れたし、自己責任論と言う人も多かった。
とはいえ、政府が氷河期世代を無視しているわけではない。後の社会保障費の負担など、日本社会全体に大きくのしかかる問題であり、軽視できるわけがない。基本的に政府は、氷河期世代の問題をなんとかしようとしている。
しかし、対策しようにも、どうすればいいかわからないのが、「氷河期世代」の根深さなのだ。
「失った時間は戻ってこない」のはもちろんのこと、もし時を遡れたとしても、氷河期問題に対して、有効な対策ができた可能性は低いだろう。
なぜなら、氷河期問題の根本には、ふたつの対立する価値観の衝突があるからだ。
「日本型雇用を肯定するか、否定するか?」に関しては、今もまだ答えが出ていないし、国民の間でも意見がまとまっていない。
就職氷河期世代は、「新卒採用の枠を勝ち取り、年功序列のレールに乗れなければ有利なキャリアを歩めない」という日本型雇用の欠陥に直面した世代だった。しかし、日本型雇用は、氷河期に直面した後も、終わらずに維持され続けた。それが氷河期の問題を根深くしている。
もし氷河期という大きな問題をきっかけに、日本型雇用の影響力が衰えていったのなら、もっと問題はシンプルだったかもしれない。しかし、「日本型雇用はもう終わり」と言われていた当時の予想に反して、日本型雇用はいまだに影響力を持ち続けている。
そのため、氷河期のあとの世代が、「日本型雇用」における「正社員」というレールに乗ってキャリアアップしていったのに対して、新卒採用に失敗した氷河期世代は、アルバイトや非正規雇用のまま、という状態が続いた。
実は氷河期世代の当事者たちも、「日本型雇用を肯定すればいいのか、否定すればいいのか?」がわからない状況だ。
一般的に、民主主義国家において、人口の多い世代は、政治的な影響力を持ちやすい。そして、本来であれば、氷河期世代はもっと政治的な影響力を持っていてもおかしくない。
「就職氷河期」というわかりやすい被害者性があり、それによる連帯もしやすいはずなので、政治的な運動で自分たちの待遇を改善していくことも、比較的やりやすいはずだ。しかし、「日本型雇用を肯定するか、否定するか」について、当の氷河期世代も一貫した主張を持てていない状態であり、氷河期への対策は「何をすればいいかわからない」のだ。
当の氷河期世代の中にも
- 日本型雇用を肯定(正社員になれないのが問題など、日本型雇用のレールに乗れなかったことの不満を主張)
- 日本型雇用を否定(非正規の給料が正社員より低いのが問題など、日本型雇用システムそのものを否定)
という対立があり、これは、どちらが正解と言うこともできない。
氷河期を支援しようとしても、「日本型雇用を肯定する方向性(より多くの人を正社員に)」と「日本型雇用を否定する方向性(正規と非正規の待遇格差をなくす)」のふたつは、対立する考え方なので、人によって意見が割れるし、明確な政策として打ち出すことが難しくなる。
「当時は終わると思われていた日本型雇用が影響力を持ち続けたこと」が、氷河期世代の主張から一貫性を奪い、「一枚岩になって解決を目指すことが難しい状態」を生んでしまっている。
加えて、「自由主義的、個人主義的な考え方が広まった時期に、数少ない正規雇用の枠を争った」という事態が、氷河期世代の連帯に暗い影を落としている。
氷河期世代の中にも、ちゃんと正社員として就職したり、企業して成功した人はいるが、競走に勝ち残った人材は、世代的な連帯にはあまり興味を持たないかもしれない。
氷河期世代は、就職難と同時に、自由主義的・個人主義的な考え方が広まった時勢でもあった。当の氷河期世代が、上の世代が熱心だった組合活動のような連帯を否定しがちで、「会社が変わっても通用する実力を身につけることこそが重要」などの価値観をインストールしてしまっていたという面もあるだろう。
本来であれば、氷河期世代はもっと政治的な影響力を持っていてもおかしくないはずだが、それができないところが、氷河期問題の根深さなのだ。
POINT
- 就職氷河期は、日本型雇用を否定する自由主義的な考え方が広まった時期でもあったが、終わっていくと思われた日本型雇用が、氷河期が終わったあとも影響力を持ち続けたことが、問題を根深いものにしている。
- 人口の多い氷河期世代は、本来であれば政治的な影響力を持てたはずだが、「日本型雇用を肯定するか、否定するか」が定まらないので、一貫性のある主張が難しく、団結して政治力を行使しにくくなっている。
以上、「就職氷河期世代」の問題について解説してきた。
当サイト「経済ノート」では、記事中で何度も言及してきた「日本型雇用」についての詳しい解説も書いているので、よければ以下の記事なども参考にしていってほしい。






当記事を書くにあたって参考にした書籍の「要約と解説」も書いているので、より詳しく知りたい人は以下を参考にしてほしい。


一枚岩になれないのが氷河期世代の不幸、なるほどね
もっとも、政府の対応が遅れた理由としては、若者が望んで「アルバイト」や「非正規雇用」にやっていると思われていたことや、「日本型雇用を否定する考え方」が流行していたという事情も大きい。
ソースは?
なければ、個人の見解とつけましょう。
肝心なところが抜けているから、つまらん。
本来は貴殿のような方々が議論をすれば、もっと精度の高いものになるのに残念。
氷河期世代が団結しても政治的な権利が得られない。
1)団結して投票活動しても、老害世代に負ける。
2)デモなど示威活動しても、与太者扱い。
よって氷河期世代全体は「存在しない」かつ「自己責任」で処理。
追伸 車が売れない、酒が売れないのはメーカーの自己責任。
非正規労働者が増えるのは、日本国民の自己責任。
GDPが増えず収入も増えないのは、日本社会の自己責任。
人口減、老人増は日本国の自己責任。
その結果、衰退するのも自己責任。
wikの「就職氷河期」のデータを見ると、就職氷河期の求人やら、そんなに悪くないように思いますけど、、
それと、その後の人材の流動化というか、その世代の中途採用の求人はずっと活発なので、チャンスはあったと思うんですよね。
なんか、ここで書かれていることって、いらんこと、考え過ぎなんじゃないすか。