就職氷河期世代は将来どうなるのか?生き残り戦略を考える

日本社会に恨みを抱いている就職氷河期世代は多いだろう。

ただ、いくら政府を批判しても、失った時間が戻ってくるわけではないし、生きている以上は、何らかの形で生き残りを図っていかなければならない。

「氷河期世代の悲惨さ」や、「氷河期の原因」については、別で記事を書いているので、以下を参考にしてほしい。

就職氷河期世代はなぜ悲惨だったのか?自己責任論、対策が進まない理由を解説【ロスジェネ】 就職氷河期の本当の原因は何だったのか?政府を恨み続けるのが見当違いな理由

今回は、「氷河期世代は将来どうなるのか?」「氷河期世代の生き残り戦略」について書いていく。

氷河期世代が抱いている不安、自分たちの世代で福祉が削減されるのでは?

氷河期世代の不安は、自分たちの代で、社会保障が削減されたり、打ち切られたりするのではないか、ということだ。

氷河期世代は、団塊ジュニア世代とも言われ、人口の多い世代だ。

というより、人口の多さこそが、就職氷河期だった要因の一つでもある。

 

日本では、氷河期世代から出生数の低下が顕著に進み、氷河期から下の世代は、急カーブを描いて出生人口が少なくなっている。

今の日本で生まれる新生児の数は、氷河期に突入した70年生まれ前後の世代の半分以下だ。

平成以降に生まれた世代からすれば、氷河期世代の人口の多さは、政治的には驚異に映るし、社会保障費を考えると煩わしいものに映るだろう。

未来のことはわからないが、氷河期世代は、自分たちの代が下の世代から敵視され、社会保障費の大幅な切り捨てが起こるのではないか、という恐怖におびえている。

だからこそ氷河期世代は、生き残り戦略を考えていかなければならないのだ。

 

救いがあるとすれば、みんなが厳しい状況になっていること

氷河期世代にある種の救いがあるとすれば、世の中が、氷河期とかに関係なく、だんだん「普通の人が働けない世界」になってきていることだ。

氷河期世代は、ファーストキャリアを積めずに不利になり、一方でその下の世代は、人口の少なさゆえに「正社員」の枠に入りやすい傾向があった。

そのため、氷河期世代は、自分たちだけがピンポイントで損をしたように感じたかもしれない。

しかし、基本的に「仕事のハードル」は上がり続けているし、下の世代になるほど、情報がコモディティ化が進み、競走はどんどん激しいものになっている。

オートメーション化が進み、単調ではあるけど楽な業務が世の中から消えていく。インターネットの普及や、YouTubeなどの動画投稿プラットフォームの盛り上がりによって、一部の層はチャンスが増えたが、その他大勢は、自分が凡庸であることを早い段階から突きつけられる。

若い世代ほど、全能感を持ちにくくなっているし、求められる能力の最低条件は上がり続けている。

氷河期世代は「正社員」になれなかったことを不満に思っているかもしれないが、今の若い世代は、年功序列のレールに乗ってこのまま生き残れると思っている人はほとんどいないだろう。

そもそも、「雇用」というやり方を避ける企業が成功しやすい社会になってきている。

Google、YouTube、AppleStore、Uberなど、今の時代に成功しているビジネスは、人材を「雇用」せずに「仲介」する。

人を雇わずに、「場」が提供され、あとは各ユーザーに任せるという業態が、市場を支配するようになってきている。一部の「売れる」人は稼げるが、あとの人たちは、真面目にやっているだけでは仕事として成り立たない。

テクノロジーが進歩し、オートメーション化が進めば、意思決定をするリーダーや、専門技能を身に着けた一部のプログラマーなどの待遇は上がるが、その他大勢の大多数の人間は、代替可能な労働力になり下がるか、あるいは最低限の労働力にすらなれないかもしれない。

時代はものすごい早さで進んでいて、特定の業界においてはすでに、「正社員になれなかったから不利」とか、そんなレベルの話ではなくなっている。

これが救いなのかどうかはわからないが、氷河期のみならず、その下の世代も、みんなが厳しくなりつつあるのだ。

 

政府を批判し過ぎることに注意!氷河期世代の政府批判はあまり正当ではない

就職氷河期世代は、日本社会に恨みを持っていて、SNSなどを見ると、今でも政府を批判していることが多い。

それが悪いことであると言うつもりはない。氷河期世代が損をしがちだったというのは事実だし、SNSなどで政府を批判を共有することで少しでも気が楽になるのであれば、それをあえて辞める理由もないのかもしれない。

しかし、詳しくは「就職氷河期の本当の原因は何だったのか?政府を恨み続けるのが見当違いな理由」で解説したが、氷河期世代が言いがちな政府批判は、あまり正当性がない場合が多い。

就職氷河期の本当の原因は何だったのか?政府を恨み続けるのが見当違いな理由

「政府に見殺しにされた」「氷河期世代は棄民である」と思っている氷河期世代は多いかもしれない。

しかし、就職氷河期が起こった要因は構造的なもので、おそらく当時の政府が何をしても、「就職氷河期(正社員になれない大卒の大量発生)」は避けられなかっただろう。

就職氷河期は、主に

  • その世代の人口が多かった
  • 経済活動が成熟して「仕事のハードル」が上がり、収益性の低い自営業がやっていけなくなったので、雇用されて働くしかなくなっていた
  • より多くの人が大学に進学できるようになった
  • 男女平等になり、女性が正社員を目指せるようになった

という要因によって起こった。

「人口の多さ」というどうしようもない要因と、「豊かさ」や「平等」といった「善いこと」の反動として起こったのが就職氷河期だ。

当時の政府が何らかの適切な対応をすれば防げたわけではない。おそらく何をやっても、「正社員」からあぶれる人の大量発生という事態は生じていた。

また、氷河期世代に関して、「当時の日本政府が自由主義的な方向へ梶を切ったから、氷河期が発生した」というような意見を言っている人がいるが、これは事実を混同していて、就職氷河期などの「日本型雇用の限界」への対応策として、雇用の流動化を図る自由主義的な政策がとられたのだ。

就職氷河期は、「正社員という限定された枠」を争う競走が激化したのが問題だった。それに対して、「日本型雇用における正社員という働き方がいびつなので、欧米などを見習ってもっと流動的に社会制度を変えていこう」というのは、結果としては失敗に終わったが、問題に対するアプローチとしてはむしろ妥当なものだったし、国民の支持も得ていた。

小泉改革にしても、国民の支持率が高かった(若年層からも支持されていた)からこそ実行力を持ち得たのだし、後からそれを特定の政治家のせいにしてひたすら批判するというのも、民主的な態度とは言えないだろう。

当時から20年近く経っているが、氷河期をめぐる言説は歪められていて、酷いものになると本来であれば自分たちは正社員になれたはずなのに、政府の間違いによって得られたはずのものが失われた→政府は自分たちに償いをするべきだ」という理路になっている。しかしこれはおかしい。

「上の世代が大卒であれば正社員は当たり前だと考えているなか、正社員になれない氷河期世代は酷い思いをしてきた」のは事実でも、「政府が適切な対応をとれば、氷河期世代はみんな正社員になれた」というのは誤りだ。

冷静に検証すれば、今のネット上でよく言われがちな氷河期世代による政府批判は、「気持ちはわかるが、それほど正当性がない」ものが多く、被害性を主張して他罰的な言説を続けても、他の世代が嫌悪感を持ち、分断と対立が深まっていくという悪い結果を招きかねない。

「被害者」のつもりで政府を批判し続け、保証や救済を求めても、「政府」に統一的な主体があるわけではないし、いつの間にか「人口の多さゆえに政治力を持つ」自分たちの世代こそが、批判してきたはずの「政府」になっているという恐怖。

当人たちにとっては恐ろしいことかもしれないが、数十年後には、人口の多い「氷河期世代」こそが、もっとも政治的影響力を発揮できる世代になるのだ。

 

氷河期世代は政治的なイニシアチブをとりやすい世代

ポジティブな可能性を探るのであれば、自分たち以外の世代からも支持を得られるような形で、新しい価値観を提示していくことが、氷河期世代には求められている。

氷河期世代のみならず、様々な世代の、様々な事情の人たちが、社会の変化に脅かされている。苦しんでいる人たちを包括するような連帯を提示していく試みが、氷河期世代のポジティブな可能性になるだろう。

ある部分では、社会は良くなっていく。テクノロジーの進歩は進んでいるし、介護や医療の問題なども、もっと楽にケアできるような動きが進んでいく可能性は十分にあるだろう。

そして、良くも悪くも、ほとんどの人間がまともに働けない社会がやって来ようとしている。そういうときにこそ、政治的連帯が重要性を増すかもしれない。

氷河期という共通の経験を持ち、下の世代よりも圧倒的に人口が多い氷河期世代は、政治的なイニシアチブを発揮しやすい。その際は、自分たちが救われ、なおかつ下の世代にメリットのある理想を提示することが重要になるだろう。

例えば、人口の多い氷河期世代の介護や高齢化問題を無事にくぐり抜けることができれば、同じ仕組みを使える下の世代の日本人は、ずっと楽になる。少子化が進んでいるとはいえ、氷河期から下の世代のような急激な人口減のカーブはないので、氷河期の問題を無事に解決できれば、それから先の日本社会はポジティブなものになる可能性が高い。

といったような形で、政治的に有利な世代だからこそ、自分たちの被害性を主張し続けるのではなく、下の世代からも支持されるコンセプトを打ち出すことが重要なのだ。

 

まずは自分たちの生き残りを考えよう

もちろん、社会を変えるとか、氷河期が日本をリードする、みたいなことを、個々の人たちが必ずしも考える必要はない。

まずは、自分が生き延びることを考えるべきだろう。

「就職氷河期」というワードが社会的に認知されていることは、連帯を図る上で、力になるかもしれない。

「氷河期世代」というワードを旗印にして、とりあえず孤独に陥らないように集まってしゃべるとか、生活保護の受給を支援するとか、そういう試みが始めやすいかもしれない。

せっかく「氷河期世代」という言葉を共有できる同世代がたくさんいるのだから、それを単なる「社会に対する愚痴」のために使うだけではもったいない。

SNSやYouTubeでの情報発信が当たり前な時代になっていくからこそ、「氷河期世代」同士で助け合うということも、やりやすくなってくるのではないかと思う。

世代単位で過酷な経験をして、それを共有できる仲間がたくさんいるのだから、まずはそういう人たちと連帯して助け合う方向でやっていくのが、「氷河期世代」であることを利用した現実的な生き残りの方法になるだろう。

 

 

以上、「氷河期世代の将来と、生き残り戦略」について書いてきた。

当サイト「経済ノート」では、他にも経済関連の記事や、雇用関連の記事を書いているので、よければ他の記事も読んでいってほしい。

 

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