なぜ少子化が起こっているのか?本質的な原因をわかりやすく解説

少子化問題は、今の先進国が解決すべき、もっとも重要な問題と言っても過言ではない。

どれだけ素晴らしい社会を達成できたとしても、子供が生まれなければ、持続可能性がない。

では、そもそもの少子化の原因は何なのだろうか?

よく勘違いされているのは、「経済が悪くなったから少子化が進んでいる」というものだ。

日本は、バブル崩壊からここ30年くらい経済的にはあまり調子が良くなく、かつて経済大国だった地位を失おうとしているだけに、それが少子化と結び付けられて論じられやすい。

だが、経済が好調な先進国でも、少子化は起こっている。また、日本の出生率は、経済が好調だった75年の時点で2.0を切り始めている。(参考:合計特殊出生率-Wikipedia

「経済が落ち込んだから少子化が進む」というのは間違いであり、日本以外の国の事例を見ると、むしろ「経済が成長した国で少子化が進む」のだ。

少子化についての、内閣府の分析を引用すると、

  1. 仕事と子育てを両立できる環境整備の遅れや高学歴化
  2. 結婚・出産に対する価値観の変化
  3. 子育てに対する負担感の増大
  4. 経済的不安定の増大等

が、少子化の原因とされている。(参考:少子化の原因の背景 子ども・子育て本部 – 内閣府

これらの分析について、特に異論はないが、この記事では、「なぜ少子化が起こっているのか?」について、より本質的に、わかりやすく解説していく。

少子化の根本的な原因は、「市場」の影響力が強まっていること

少子化の原因を一言で説明するなら、「市場」の影響力が強くなりすぎたから、となる。

「市場(マーケット)」が成熟し過ぎてしまったがゆえに、少子化が進んだのだ。

では、「市場の影響力が強まる(市場が成熟し過ぎる)」とは、いったいどういうことだろうか?

これについて

  • お金で手に入るモノの質が上がる
  • お金を稼ぐことが難しくなる
  • 豊かになったが、生活が苦しくなった

という点に分けて説明したい。

お金で手に入るモノの質が上がる

まず、今は昔と比べて、「お金を出せば手に入るモノ」のクオリティは、大きく向上している。

日本は、「失われた30年」などと言われていて、国民の所得水準は上がっておらず、むしろ社会保障関連の税金が増えたことなどを加味すれば、若い世代の可処分所得はかつてよりも少なくなっている。

それでも、基本的には、日本は豊かになっている。というのも、昔よりも今のほうが、同じ額面で手に入るもののクオリティが高いからだ。

例えば、

  • 30年前の電子機器と、今の電子機器
  • 30年前のゲームと、今のゲーム
  • 30年前のコンビニ弁当と、今のコンビニ弁当
  • 30年前のファストファッションと、今のファストファッション

などを比較してみて、どちらのクオリティが高いかと言えば、間違いなく今だ。

日本は、他の国と比較して相対的に貧しくなったものの、絶対的には豊かになっている。

市場が成熟することによって、様々な発明や発見が市場に流通し、社会は昔よりも豊かになってはいるのだ。

お金を稼ぐことが難しくなる

「お金で手に入るモノの質が上がった」と同時に、お金を稼ぐことが難しくなった。

市場が成熟するということは、「市場でお金を稼ぐこと」の難易度が上がることでもある。

昔は、農林自営業、地元の商店街の小売、小規模な飲食店などが、ビジネスとして成り立ちやすかった。

しかし今は、「個人がそれなりにやっていける仕事」のようなものの多くは、効率化された大企業との競争によって、淘汰されてしまっている。

多くの国民は、消費者であると同時に労働者でもある。「市場から手に入るモノの質が上がる」ことは、「市場からお金を稼ぐことの難易度が上がる」ことでもあるのだ。

社会は豊かになっているが、生活が苦しくなってもいる

市場競争が成熟したことによって、お金で手に入るモノの質が上がったと同時に、お金を稼ぐことが難しくなった。

これには補足があり、「お金で手に入るモノの質が上がった」のだが、実はエッセンシャル(生活に最低限必要)なものほど、値段が変わらない傾向にある。

例えば、娯楽や情報に関しては、無料のゲームや、月額1,000円程度で膨大なコンテンツを見られるサブスクリプションなど、ここ数十年で劇的に変化している。一方で、食料品や賃貸の価格は、過去と比較してそれほど変化していない。

さらに、ここ数十年の変化として、「市場からしか手に入らない必需品が増えた」ことが挙げられる。

例えば、今ではスマートフォンやパソコンは、仕事をする上で必需品と言っても過言ではないが、そのような必需品は、自力で用意することは不可能で、お金を稼いで市場から入手するしかない。

つまり、市場がハードモードになってお金を稼ぐことが難しくなったにもかかわらず、

  • エッセンシャルなものの価格はそれほど変わらない
  • お金を出して買わなければならない必需品が増えた

ので、社会は豊かになったのだが、生活が苦しい人も増えた。

 

「出産、育児」は、市場で評価されない

市場競争が成熟し、お金を稼ぐことがハードモードになり、社会は豊かになったが、生活が苦しくなった人も増えた。

そんな中で、「子供を産んで育てること」は、「市場」においては純粋な負担になる。

かつての農村などにおいては、子供でも立派な労働力だったのだが、現代社会において子供は、ただ純粋に経済活動にとってマイナスの要因になる。

市場の影響力が増して、市場競争がハードになったにもかかわらず、国民は市場に頼らないと生きていけなくなった。そして、そのような「市場」において、出産・育児は、何の評価もされない。

それ以前の社会は、「伝統(育児を評価する)」と「市場(育児が評価されない)」の両方の価値観があった。今は、「市場(育児が評価されない)」の影響力が強くなりすぎたがゆえに、少子化になってしまっている。

今の社会において、子供を産んで育てることは、「あまり評価されず、自分たちを不利にしやすい」ことなのだ。

POINT

  • 経済成長によって豊かになり、市場で手に入るモノの質は高くなった
  • 一方で、市場が成熟したがゆえに、生産性の低い事業が淘汰され、市場からお金を得ることの難易度が上がった
  • 市場がハードモードになったが、生活に必須なものほど、安くなっていない傾向がある
  • スマートフォンやパソコンなど、「市場」から手に入れざるを得ない必需品が増え、「市場」の影響力が強くなっている
  • 「出産・育児」は「市場」では評価されないので、「市場」の影響力が強まっているからこそ、少子化が進んでいる

経済が低迷したから少子化が起こったわけではない。経済的に好調な国であっても、「市場」の影響力が強まると少子化が進む。

どこの国であっても、基本的に、市場経済が浸透するほど出生率が低下する。

なお、少子化の原因として指摘されることの多い「教育」や「自由恋愛」も、「市場」に付随する問題と考えることができる。

 

「教育水準の向上」と少子化

途上国の人口爆発を懸念する国際機関においては、「女子教育」と「出生率の低下」との関係が重視されやすい。

出生率が非常に高い国の場合、女子教育を充実させれば、確実に出生率が下がっていくことがわかっているからだ。

途上国の高すぎる出生率を低下させるのと、先進国で問題になっている2.08を下回る出生率の話は、やや別物かもしれないが、それでも、「教育水準の向上」は少子化の主要な要因と言える。

「市場」と、「教育水準の向上」は、関連している現象だ。

一般的に、市場が成熟するほど、労働者には多くの知識を求められるようになるので、「高学歴化」が進む。

市場経済が浸透した社会ほど、「高卒が当たり前」→「大卒が当たり前」→「大学院卒が当たり前」と、就職するときに求められる学歴が高くなっていく。(補足:日本における学歴システムは、欧米の先進諸国と比較してやや特殊。詳しくは、『日本社会のしくみ』の内容を図解つきで簡単にまとめてみた、などを参考)

教育水準が高くなるほど、教育に必要な期間が増えるので、「子供を育てる」ことのコストが上がる。

入試などの競争が加熱すると、塾や私立大学などの費用がかかるようになり、また規範面においても、「まともに子供を育てる」ことのハードルが高くなり過ぎてしまっている。

「教育」は、「市場」と足並みを揃えて、少子化傾向を加速させている。

 

「自由恋愛」と少子化

「親や親族や世間に影響されて結婚する」ではなく、「自分が好きになった人と恋愛する」という「自由恋愛」も、少子化を加速させていることは、想像に難くない。

実は、日本では、結婚した人の出生率は、それほど低くないようだ。ただ、結婚しない(できない)男女が増えているので、結果的に全体の出生率が低くなっている。

よく、「恋愛市場」とか「恋愛市場価値」という言葉が使われるように、「自由恋愛」と「市場」は関係が深い。

単純に、男女が需要と供給に基づいてマッチングすると考えれば、「自由恋愛」を「市場」のように捉えることもできる。

「市場」によって評価されるとき、男女には、明確な格差がある。

というよりも、「若い女性の性的魅力が市場に流れると、とんでもない額になる」のだ。

そして、

「自由恋愛市場」においては、「結婚」という形の男女の契約は、不合理なものになってしまう。

  • 若い女性は、せっかく高い市場価値を持っているのに、魅力の乏しい男性に自分の時間を使いたくないと考える
  • 金や能力のある男性は、それによって若い女性と付き合っていても、女性の魅力が加齢で衰えてからも保護し続けようとは考えない

「市場価値」が重視されると、男女の結びつきにはミスマッチが起こるのだ。

伝統的(保守的)な価値観は、そのようなミスマッチを防ぐために、「性」と「市場」が絡むことを禁止しようとする。

基本的に、伝統(保守)は、女性の性的魅力が市場に流通することに対して、非常に厳しい態度をとる。

例えば、ひと昔前の社会は、セクシー女優に対する風当たりが今では考えられないくらい強く、警察に逮捕されたり、親から勘当されるということが普通にあった。

今では考えられないことかもしれないが、そのような保守的な価値観の前提には、「女性の性的魅力が市場に流通すると社会が崩壊する」というのがある。

そして実際に、「少子化」という社会の維持にとって看過できない問題が顕在化している。

(なぜ「伝統派(保守派)」が、かたくなに時代遅れの「結婚」のイメージにこだわるかについては、詳しくは「なぜ結婚できない人が増えたのか?経済的な事情ではない本当の理由」で解説している。)

そもそも「結婚」は、「近代的な個人」として考えるならば、不当な取引なのだ。

  • 男性は、市場価値が低下していく女性を養い続けなければならない
  • 女性は、自分よりも市場価値のずっと低い男性と夫婦にならなければならない

上のふたつは、「長期的な契約」としてはトレードオフが成り立つのだが、伝統の影響力が弱まり、市場の影響力が強まった現在においては、信頼関係が破綻してしまっている。

「結婚して子供をつくるべき」という伝統的な価値観の影響力が弱まってしまったので、かつてのようにほとんどの男女が結婚するということがなくなった。

 

「善いこと」の反面として少子化が起こっている

人間は、多くの問題を解決する能力を持っている。

世の中には、才能のある人間も、すごいことを思いつく人間も、実行力のある人間も、たくさんいる。

それでも、少子化という問題の解決が難しいのは、それが「善いこと」の反面として生まれてきた問題だからだ。

  • 経済が発展して質の高い商品が溢れる
  • より多くの人が長期間の教育を受けることができる
  • 伝統や家に縛られず、自分の意志で好きな相手と恋愛できる

これらは、先進国が達成してきた「善いこと」である。

そして、その「善いこと」のマイナス面として「少子化」が起こっているのだ。

少子化問題の難しさは、「出生率が低いのが問題だからといって、出生率の高い国を参考にすればよいわけではない」ことにある。

例えば日本では、戦時中や戦後すぐの時代には出生率が4.0を上回るほど、子供がたくさん生まれていた。国民の暮らしはかなり酷いものだったが、(だからこそ?)出生率は非常に高かったのだ。

出生率を上げることだけを考えるならば、女子教育を廃止して、治安を悪くして、自由恋愛を弾圧して……というやり方をすれば、おそらく少子化問題はなくなるが、それでは本末転倒だろう。

先進国でも、

  • 教育水準の低い移民を入れる
  • 格差を広げて教育水準の低い階層を生み出す

などをすれば、出生率は回復する。

だが、不幸や断絶を避けた上で、社会が持続可能な出生率を維持しなければ、少子化問題を解決したことにはならない。

もっとも、「そこまで人口が必要なのか?」という論点もある。

地球環境や資源問題を考えるならば、人間はあまり生まれてこないほうが望ましく、少子化という現象はポジティブに捉えられてもいいかもしれない。

ただ、「今の社会は持続可能なものではない」という考えは、その社会に暗い影を落とすし、極端な少子高齢化によって、社会が混乱と破綻に直面する可能性は高い。

「たくさん人が生まれるのがよい」とは言えないものの、少なくとも2.08に近づく程度には出生率を改善させていくことは、今後の先進国の重要な課題だ。

 

 

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